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一人歩きを始める 今日は君の卒業式
僕の扉を開けて すこしだけ泪をちらして
さよならと僕が書いた 卒業証書を抱いて
折りからの風に少し 心のかわりに髪揺らして
卒業…この二文字には、人それぞれにさまざまな想いをめぐらすことでしょうが、まずは卒業式。
卒業式といえば、ほとんどが3月に行われ、たまに入試の関係などで2月くらいに挙行されることもありますが、少なくとも、つゆのあとさきである、6月〜7月に行われる卒業式などは、あまり耳にしませんね。
4月の入学式のあとに、卒業式って…、それこそ、「あとさき」を考えたら、おかしいですよね。(笑)
もっとも、これは日本の場合だけを考えるからであって、おとなりの韓国では、2月が卒業式、3月が入学式だそうですし、オーストラリアでは、12月が卒業式で、1月が入学式だそうです。
ご存知の方も多いと思いますが、アメリカでは、6月か7月に卒業式があって、夏休みのあとの9月が入学式や、新学年の始業式となります。
そして、どういうわけか、中国も同じです…と、そこで、ふと、もし、この曲の中の卒業式が、この6月〜7月に行われたとするならば、ひょっとして、この曲は、中国を舞台にしているのではと思いつきました。
ええ、もちろん思いつきだけですが。(笑)
でも、さだまさしさんは、1981年(昭和56年)に、全編長期中国ロケによって、悠久なる大地をとうとうと流るる揚子江−長江の流域の雄大なる自然と人々の生活を描いた、長編ドキュメンタリー紀行映画「長江」を製作、監督、音楽、主演したことがあります。
映画の主題歌はさだまさしさんの「生生流転」です。
ああ あたりまえに生きたい
ささやかでいいから
ああ 前のめりに生きたい
ひたすら生きてゆきたい
ああ あたりまえに生きたい
ささやかでいいから
ああ とても優しくなりたい
素直に生きてゆきたい
「生生流転」−さだまさし
さださんの中国大陸に対するあこがれや思いいれが伝わる、素晴らしい映画なんですが、あまりにも地味であったために、莫大な経費をかけたのに、興行収入はあがらず、つまりは30億円という膨大な借金を抱えることになります。
ぼくも、当時、そんなさだまさしさんの経済的苦境を支援しようと、その映画の前売り券を何枚も買いこみました。(笑)
そして、相手構わずにその映画に誘い、はては職場の人妻さんを誘っては不倫疑惑、男性を誘っては薔薇族疑惑を招いた過去があります。(笑)
ともあれ、「つゆのあとさき」、中国語ならば「黄梅雨的先后」と…なるのかどうかは知りませんが、わざわざ、「つゆのあとさき」と、平仮名表記になっているところは、漢字好きのさださんを考え併せれば、中国舞台説は苦しいところです。
また、あとに続く歌詞で、めぐり逢う時も、別れ行く時も、花びらの中というフレーズは、卒業式6月〜7月説についても疑念を生じさせます。
梅雨の頃の花といえば、やはり、代表的なの紫陽花(あじさい)でしょうが、紫陽花は卒業の集合写真のように、花びら単位ではなく、全体で見るものですし、なにより、花びらと見えるものは、がくの変化したものといいますから、愕然とします。(笑)。
また、紫陽花以外でも、6月〜7月の梅雨の頃の花といえば、露草、くちなしの花など、しっとりと雨に濡れた花が中心で、門出にふさわしい花びらが、咲き誇り、また散りしくというイメージではありません。
よって、「つゆのあとさき」の卒業式は、「つゆのあとさき」の頃の卒業式ではなく、やはり春3月の頃をもって行われたとして結論といたします…って、結局、お騒がせしただけかいな。(笑)
倖せでしたと一言 ありがとうと一言
僕の掌に指で 君が書いた記念写真
君の細い指先に 不似合いなマニキュア
お化粧はお止しと 思えばいらぬおせっかい
卒業の記念写真、卒業写真をめくると、かならず一人や二人、クラスの集合写真に入らずに、上の方に四角の写真で掲載されているクラスメートがいます。
写真撮影当日に欠席したからでしょうが、なかには、長期入院していたような子もいました。
卒業式にも出てこれなかったから、かなり重病かと思っていたら、入院は入院でも、病院ではなく、少年院だったという子もいました。(笑)
卒業後は、やはり極道の道へ入ったという噂は聞いたものの、その後の歩みは知りません。
一方では、遊びに夢中で追試の常連となり、やんちゃのあまりに何度も停学をくらっていたやつらが、教師となり、警察官となったという風の便りは、同窓生として、なんとなく嬉しかったものです。
思えば、長いスカートはいて、マニキュアをして化粧して髪を染めていた同級生の女の子も、母となって、やがて祖母となる年頃になっているんですよねぇ。
梅雨のあとさきのトパーズ色の風は
遠ざかる 君のあとをかけぬける
本州の梅雨入りの平年値は、6月8日前後、梅雨明けは、7月20日前後となっています。
ということは、一ヶ月あまりの間が梅雨ですから、梅雨のあとさきとなると、おそらく三ヶ月近くとなります。
卒業式が3月ごろとすると、ほぼ半年近くも、この曲の彼は、なにか、ず〜〜〜と、もやもや〜〜〜としていたのかもしれませんね。(笑)
まあ、良い人柄の彼氏なんでしょうが、自分でも認めているように、小さな親切、大きなお世話、おせっかいタイプなんでしょうね。(笑)
親から言われるまでもなく、自分で門限を設定して、遵守するようなタイプで、行きがかりで無断外泊でもしようものなら自己嫌悪に陥っちゃうタイプ…って、えっ、誰かさんに似ているって、ほっといてんか。(笑)
ごめんなさいと一言 わすれないと一言
君は息を止めて 次の言葉を探してた
悲しい仔犬の様に ふるえる瞳をふせた
君に確かな事は もう制服はいらない
しかし、この曲に描かれた二人は、なんて礼儀正しいんでしょうか。
まず、彼はさよならと書いた卒業証書を渡します。
なかなか、できるものではありませんね。
未練たらたら〜〜〜なんて書いてません。(笑)
そして、彼女もです。
もらったその卒業証書を抱いて、髪を揺らします。
間違っても、髪の毛を逆立てて、こんなものいらないわ、って破り捨てたりしません。(笑)
そして、倖せでした、ありがとうと、彼女は、彼の掌に指で謝辞の言葉を記念写真のように、ちょっとおすましして書き連ねます。
まあ、指だからいいのであって、これがマジックで、あなたにあげた白いベスト、着ないなら返してよ、青春を返せとまてではいわないから、なんて憎まれ口を書かれたら、もともこもないですからね。(笑)
そして、彼女は、ごめんなさい、忘れないと言って、息をとめて次の言葉を探している…って、あれれ?と…、あっ、そうなのか。
ごめんなさい、っていうことは、やはり、別れを切り出したのは彼女の方からで、しかも、忘れないということは、つまりはもう彼女の心中では、彼のことはもう想い出になっているということの裏返しなのでしょう。
それに気がついた彼女は、もはや、物言わぬ仔犬の様に、ふるえる瞳をふせるしかなかった…ということでしょうか。
ところで、みなさんは、制服を何年間着ましたか。
もちろん、社会人になっても制服やユニフォームがある会社や職種があり、またサラリーマンのネクタイとスーツも制服といえば制服なんですが、それらは除いて、つまり学生時代に限れば何年間着ましたか。
ぼくは、考えてみれば、中学生のときだけでした。
たったの三年間でした。
幼稚園のときの園章の入った黄色い帽子とスモックも制服の一種かもしれませんが、ズボンなどは自由でしたから、厳密には、制服ではありませんし、小学校は完全に私服でした。
そして、高校のとき、ちょうどぼくが入学したとき、制服廃止、服装自由化の議論が最終段階となっていて、新学年度の自治会で議決され、職員会議並びにPTA総会で承認されるまでは、新入生は制服を新調せずに、中学の制服に校章だけを付け替えるだけでよいという暫定措置がとられていました。
そして、新入生の自治会代議員となったぼくは、全面廃止という執行部原案に対して、女子と親から要望の強かった、詰襟やセーラー服を標準服としては残すという修正案を提案して、これが最終的に、制服廃止、服装自由化決議として通りました。
そして、6月の夏服から実施、詰襟やセーラー服は、強制でない標準服となりました。
受験に失敗して志望校でなかった高校で、愛着の持てない制服の廃止に関わった手前、もう制服はいらない、しかし、標準服はあると、親から標準服代は貰って購買せずに、私服で通いました。(笑)
卒業後、数年経って、その母校が、また服装の自由化をやめて、制服に戻ったと聞かされたときは、あのとき全校集会で、みんなで制服を投げ上げたときに見上げた梅雨のはしりの曇り空を思い出しました…。
めぐり逢う時は 花びらの中
ほかの誰よりも きれいだったよ
別れ行く時も花びらの中
君は最後までやさしかった
前述したように、やはり、この曲の花びらというものは、淡いピンク色の桜なんかが似合いますね。
紫陽花でも、夾竹桃でもない、まして桐の花でもないっ…ってこの花なら歌が変わってしまいます。(笑)
爛漫と咲く桜、そして散り急ぐ桜。
そして、その桜の花びらの下での出逢いと別れ。
もうこれだけのロケーションで、小説のプロット(構想)が浮かびそうですが、もっとも、これが実話となると、かなり切ないものになりますね。(笑)
梅雨のあとさきのトパーズ色の風は
遠ざかる 君のあとをかけぬける
ぼくは、6月28日という、ほんとに梅雨のさなかに生まれたせいだからでしょうか、それに典型的な雨男ですから、梅雨の頃って、案外、嫌いではありません。
まっ、負け惜しみじゃないぞ。(笑)
もちろん、蒸し暑さの中で、じとじとと降り続く雨に、うっとおしいなぁ〜と思うことはあります。
しかし、晴れ渡った青い空に、五月の薫るような風もいいけれど、また来る夏を予感させながら、うす曇の六月の空、水無月に吹く湿った風もいいものです。
六月を綺麗な風の吹くことよ
正岡子規
さて、いよいよ本論です。
我ながら、相変わらず前説が長いです。(笑)
題して、「さだまさしにおけるトパーズ色の風に関する一考察」、です。(笑)
この曲を最初に聞いたときは、トパーズ色の風って、具体的にどんなものか、思い浮かびませんでした。
もちろん、トパーズが宝石の種類とは知っていましたが、もちろん持っていませんし、トパーズ色がどんな色なのか知りたくて、ガラになく宝飾店をのぞいてトパーズを探していて、不審がられました。(笑)
トパーズにもいろいろあるようですが、一般的なトパーズは、ほのかに黄色がかった透明な宝石です。
ということは、トパーズ色の風って、ひょっとして、黄砂まじりの風かな…なんて思いながらも、風見鶏。
次なる私の花が集い咲くのを待ちます。
さだオタクっぽい表現なので、これが分からない人は、深く考えずに、読みすすめてください。(笑)
それを暫くみつめた後で
きれいねと云った後で齧る
指のすきまから蒼い空に
金糸雀(かなりあ)色の風が舞う
「檸檬」―さだまさし
さだまさしさんの私花集というアルバムに収録された「檸檬」という曲では、同じ黄色系統なんですが、トパーズ色ではなくて、金糸雀(かなりあ)色の風が舞うことになっています。
喰べかけの夢を聖橋 から放る
各駅停車の檸檬色がそれをかみくだく
「檸檬」―さだまさし
さらに各駅停車ながら、檸檬色が走ります。(笑)
金糸雀色に、檸檬色と、かなり黄色っぽくなってきましたから、酒好きの方は、肝臓に注意です。(笑)
ところで、この「檸檬」という曲では、梶井基次郎の短編小説「檸檬」を想起する人が多いでしょう。
梶井基次郎は、大阪市生まれで、肺結核のために、31歳で亡くなった夭折の小説家で、買い求めた檸檬を爆弾に見立てて丸善という本屋の本棚に置くという印象深い代表作「檸檬」にちなんで、命日の3月24日は、「檸檬忌」と呼ばれています。
しかし、さださんの歌詞に秘められたロジックは、一見、単純そうで、単純ではありません。
伏線が仕込まれています。
ですから、梶井基次郎の小説「檸檬」を、脳の中に置いて、まず爆発させてみましょう。(笑)
そして、「檸檬」を「レモン」と置き換えてみて、一編の詩が思い浮かんだなら、あなたの頭の中はきっと、トパーズ色になりますって、なんのこっちゃ。(笑)
でも、あまり深く考えたら、頭がレモンのように、つるつるにテカってきますのでご注意ください。(笑)
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
「レモン哀歌」−高村光太郎
詩集「智恵子抄」より
彫刻家としても有名な高村光太郎の詩集「智恵子抄」の中の「レモン哀歌」という詩です。
智恵子というのは、高村光太郎の妻であり、また才能ある画家としても知られていますが、多彩な才能を発揮する夫に、己が才と志を犠牲にして、献身的につくす中で、次第に精神を病むようになり、肺結核で死の床につきます。
レモンから発せられる、トパーズ色の香気、そして、それが病んだ意識を正常に戻す、精神を覚醒させるものとして、イメージされています。
恋愛も長く続けば、よどみが生じてきます。
惰性といってもいいのかもしれません。
抱擁が束縛と感じられ、気づかいがおせっかいとふと感じられたときに、それまでのことがまるで夢のなかの出来事であったかのように思われてきます。
眩暈の後の虚ろさに
似つかわしい幕切れ
まるで長い夢をみてた
ふとそんな気がしないでもない
「晩鐘」―さだまさし
そんな夢から覚醒させるのが、トパーズ色の風だったのかもしれません。
銀杏黄葉の舞い散る交差点で
たった今風が止まった
銀杏黄葉の舞い散る交差点で
たった今想い出と出会った
「晩鐘」―さだまさし
銀杏黄葉(いちょうもみじ)の舞い散る交差点には、黄色く色づいた銀杏の葉のあいだをすりぬける、トパーズ色の風が吹いているのかもしれません。
しかし、風水では、黄色は幸運を呼ぶ色とも言われています。
つゆのあとさきに、トパーズ色の風が見えたら、きっと幸せになる、そんな風に考えてみましょうか。
この曲は、グレープを解散して、ソロになってからのセカンドアルバム「風見鶏」に収録されています。
いわゆるさだまさし創世記の三部作アルバム「帰去来」「風見鶏」「私花集」とある中の、真ん中に位置するアルバムで、「飛梅」「セロ弾きのゴーシュ」「もうひとつの雨やどり」「吸殻の風景」「晩鐘」など、初期の頃の名作がそろっています。
なお、「つゆのあとさき」というタイトルは、明治の文豪、永井荷風(ながいかふう)の有名な小説と同じタイトルですが、単に題名の借用だけで、この曲と小説の内容との関連はほとんどないように思われます。
(初稿2005.6 未改訂) |