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「僕にまかせて下さい」―クラフト

   きみはその手に 花をかかえて
   急な坂をのぼる
   僕の手には 小さな水おけ
   きみのあとにつづく

長崎は坂のある街です。
いや、坂のある街というより、坂の中に街がある、といってもいいくらいでしょう。

おなじく港町である神戸なども坂のある街なんですが、やはり長崎の方が断然に坂が多い、それも小さな急な坂が多いような気がします。

ところで、長崎は坂が多いのですが、長崎には、下り坂と上り坂、どちらの方が多いと思いますか?

一瞬たりとも、あれ、どっちなんだろうか?って、考えたあなたには、長崎の坂は似合います。(笑)

これを冗談めかして、「長崎は、よかばってん、坂、墓、ばか、が多かね。」って言うそうです。(笑)

もちろん、これは長崎の人から聞いたことですので、長崎の方々は、くれぐれもマスター(館長)に、苦情ば言わんでくれんね。(笑)

しかし、坂は多いけれど、ばかが多いかどうかはともかくも、確かに墓が多いような気がするのは、長崎を訪問すれば実感することだと思います。

もちろん、他の地方に比べて、長崎に墓が多い訳でもないんでしょうが、目立つということでしょうか。

街に坂が多いということは、建物の敷地として一定の面積が確保できる場所は、優先的に敷地として利用されますから、建物などが建てにくいような場所が、墓地などに活用されるわけです。

したがって、段々畑という言葉がありますが、まさに、段々墓地となり、代々墓ならぬ段々墓が、坂道を歩いていると、自然と目に入りますから、多いような感じを受けるのかなと思います。

もっとも、長崎に限らず、概して土地の狭小な我が国では、大規模な墓苑や公園形式の墓地以外は、山に貼り付くような墓地が多いですから、墓参りは、急な坂道をのぼってゆくことが多いと思います。

そして、故人の思い出を脳裏に浮かべ、その人の人生を辿るかのようにして、坂道をのぼっていきます。

   きみのかあさんが 眠っている
   ささやかな石のまわり
   草をつみながら 振り返ると
   泣き虫のきみがいた

亡くなった日のことを命日といい、亡くなった月日と同じ月日のことを、祥月命日(しょうつきめいにち)といいます。

亡くなった年の翌年の祥月命日が一周忌で、正忌ともいい、特に重要な年忌法要とされています。

そして、一周忌の翌年に営まれるのが三回忌です。

だから三回忌は、三年目ではなく、二年目なのですが、これは、亡くなった日を一回目の忌日(きじつ)とし、一年目の一周忌が二回目の忌日となり、そして、その一周忌の翌年の二年目に、三回目の忌日を迎えるという意味で、三回忌といいます。

そして、一周忌はあくまで一周忌であって、一回忌といわないのは、実は回忌としては二回忌となるからで、三回忌は、二周年であって三周年ではなく、だから、没後三周年という言い方はあっても、三周忌とはいわないのです。

そして、七回忌、十三回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌と続いていきます。
(地域や宗派によって多少異なります。)

ぼくが八歳のときに亡くなった父親の七回忌の三月十四日は、まだぼくが中学生の頃でした。

三十三回忌のことを、一般的に年忌止めと言って、これで年忌供養を打ち切ることが多いようですが、五十回忌を営んで年忌止めにすることもあります。

親の五十回忌の法要を営むことができる人は、よほど長生きをする人か、はたまた、幼くして、親と死に別れたような人に限られるからでしょうね。

   両手をあわせた かたわらで
   揺れてる れんげ草
   あなたの 大事な人を僕に
   まかせてください

れんげ草は、ご承知のとおり、蓮(ハス)の花である蓮華に似ているところから名付けられました。

蓮(ハス)の花は仏教の華ともいわれ、仏像の台座のことを「蓮華座(れんげざ)」ともいいますが、蓮は、泥の中に根を張って、きれいな花を咲かせます。

その泥の中にある蓮の根が、文字通りの「蓮根」であって、つまりはレンコンです。

泥中の蓮華という言葉がありますが、つまり、この泥とは、煩悩の多い娑婆世界のことであり、そんな中で、清らかな華を咲かせていく蓮華になぞらえて、いわゆる仏教の説く、悟りを開くことになるのです。

生老病死、つまりは、生きる苦しみ、老いてゆく苦しみ、病の苦しみ、死にゆく苦しみと、人は生きていく中で、この四つの苦に、悩み苦しんでいくのが定めとされています。

そして、愛するものと別れる苦しみ、怨み憎む人に会う苦しみ、求めても欲しいものが手に入れられない苦しみ、本能的な欲求の苦しみがあります。

それぞれに、愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、五陰盛苦(ごおんじょうく)と名付けられた四つの苦を合わせて、八つの苦、文字どおり煩悩の火のなかの人生において、四苦八苦していくのです。

でも、人が生きていくというのは、そういった苦悩を背負って生きていくことであり、人の一生には、山があり、谷があり、その途中の道は、のぼるにしろ、くだるにしろ、やはり坂道であり、人として生まれた限りは、その道を歩まなければならないです。

しかし、そんな煩悩の人生の泥まみれのなかでも、人はかならず、清らかな華を咲かせる種子、根を持っている、すなわち仏性を備えていて、菩提の悟り開くことができるのです。

   きみがとても 大切にしてた
   藤色のお手玉
   あれは昔 きみのかあさんが
   作ってくれたもの

指物大工(家具や建具を造る大工)をしていた父が亡くなったときに、形見分けとして、ネクタイを分けていたときのことを、ふと思い出すことがあります。

作業着姿がほとんどで、背広姿など滅多と見かけなかった父ですが、どういうわけか、ネクタイは多少、持っていたようで、形見分けをしたときのことです。

父の一周忌を終えたばかりの春の彼岸の頃。

ぼくの母親の父、つまりは父の義父で、ぼくの母方の祖父が一本のネクタイを取って、しばらくのあいだ、じっと見つめていました。

そして、ぽつりとつぶやきました。

「これ…、みっちゃんが、治(はじめ)に、就職祝いやいうて、買うてくれたネクタイやな…。」

治というのは、祖父の長男で、つまりは、ぼくの伯父さん…、父ととても仲が良く、ぼくもとても可愛がられたのですが、父よりも数年前に亡くなっていました。

「なんの因果やろなぁ、治の形見分けに、みっちゃんに貰うてもらったもんを、またわしが、形見分けして引き取らな、あかんようになるなんてな…。」

そういってから、身体を小刻みに震わせて、ネクタイを抱くように強く握りしめて、そして振り絞るような声でいいました。

「これは、わしが貰っていく。もう、こんな悲しい形見分けはしとうないから…、わしが貰うて、治とみっちゃんとこに、かならず持っていくから…。」

そういって、祖父が絶句した光景は、今でも鮮明に覚えています。

形見分け、高価な品物も財産も、ぼくにはなにもないから、この青春音楽館に綴った言葉たちを、ぼくの愛する者たちへ、残せたらいいかなと思う、今日この頃です。

   そして僕が 大切にしてる
   日だまりのような人
   それもそっと きみのかあさんが
   残してくれたもの

日だまりは、日あたりのよい暖かな場所。
ほかほかとして、心まで温まるような居心地のいい場所のことをいいます。

でも、考えてみれば、日だまりというところは、風をさえぎり、吹きさらしではなくて、しかも、日あたりがよくてはなりませんし、もちろん、日あたりがよくても、暑すぎず、蒸れたりしないように、爽やかな風は、とおらなければなりません。

こう考えれば、日だまりというのありがたく、ただぼんやりとひなたぼっこするだけでは、もったいない、大切なものだったんだと気がつきます。

そして、できればそんな日だまりのような場所を、生きた証として、残せたらいいなと思っています。

もちろん、心の中にある、日だまりを…。

   集めた落葉に 火をつけて
   きみはぽつりと ありがとう
   彼岸過ぎたら 僕の部屋も
   あたたかくなる

春は春分の日を、秋は秋分の日を中日(ちゅうにち)として各七日間の期間を彼岸といいます。

彼岸の頃は、昼と夜の長さがほぼ同じになり、太陽は真東から昇り、真西に沈み、日が真西に沈むことから、西方極楽浄土を教えとする仏教宗派では彼岸会(ひがんえ)が催されます。

そして、ぼたもちやおはぎをお供えして、墓参りをするのが日本の風物詩となっています。

俳句では、彼岸といえば春彼岸のことを指し、もちろん季語としては、春となり、秋の彼岸は、秋彼岸、後(のち)の彼岸などとして秋の季語となります。

暑さ、寒さも彼岸までといいます。

ひとつの季節が去り行くとともに、ひとつの季節がめぐり来るのが、彼岸の頃なのです。

苦しみに満ちている此岸(しがん)にいる我ら凡夫には、季節がめぐるほどには、簡単に悟りの境地としての彼岸に達することはできません。

でも、先に、彼岸の涅槃に入った親類縁者、友人知人に、いつか会ったときに、彼らに恥ずかしくないように、ぼくたちも、もう少し頑張って生きてみましょうか。



さだまさしさんによれば、この曲は、はじめは「彼岸過迄」という曲名になる予定だったそうです。

「彼岸過迄」というと、もちろん、明治時代の文豪、夏目漱石の名作を想起される方も多いと思います。

漱石の「彼岸過迄」という小説は、従兄妹同士の恋愛問題を扱っていますから、この曲の歌詞にある「かあさん」も、幼なじみの母親というよりも、もっと近しい、従兄妹の母親、つまりは「僕」の伯母さんもしくは叔母さんにあたる人かもしれません。

なにか、自然と、この曲の背景にあるストーリーが浮かびあがってくるような感じがしますが、さださんのことですから、あるいは違うストーリーを用意しているのかもしれません。(笑)

僕としてはこの「僕にまかせて下さい」の単純安易な命名の方が好きですが、もし「彼岸過迄」という曲名になっていれば、まさしく「精霊流し」「無縁坂」「縁切寺」と続く、線香くさいさだまさしラインナップになっていたかもしれません。(笑)

「僕にまかせて下さい」は、日本テレビ系列のドラマ「ほおずきの唄」の主題歌としてクラフトが歌いました。

クラフトは、三井誠さん、三森丈夫さん、森谷有孝さん 松藤一美さんの四人グループで、この曲と同じく、さだまさしさんの「さよならコンサート」を歌ってヒットさせ、その後三森さんが抜けて浜田金吾さんが参加し、「言問橋」「振り向いてみたけれど」をリリースして1978年(昭和53年)に解散しました。

(初稿2005.3 未改訂)


僕にまかせて下さい

作詞/作曲 さだまさし

きみはその手に 花をかかえて
急な坂道をのぼる
僕の手には 小さな水おけ
きみのあとにつづく
きみのかあさんが 眠っている
ささやかな石のまわり
草をつみながら 振り返ると
泣き虫のきみがいた

両手をあわせた かたわらで
揺れてる れんげ草
あなたの 大事な人を僕に
まかせてください

きみがとても 大切にしてた
藤色のお手玉
あれは昔 きみのかあさんが
作ってくれたもの
そして僕が 大切にしてる
日だまりのような人
それもそっと きみのかあさんが
残してくれたもの

集めた落葉に 火をつけて
きみはぽつりと ありがとう
彼岸過ぎたら 僕の部屋も
あたたかくなる

集めた落葉に 火をつけて
きみはぽつりと ありがとう
彼岸過ぎたら 僕の部屋も
あたたかくなる

1975年(昭和50年)
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