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「ふれあい」―中村雅俊

   悲しみに 出会うたび
   あの人を 思い出す
   こんな時 そばにいて
   肩を抱いて ほしいと

ある寒い冬の日の夜のことです。
二匹のヤマアラシが、寒さに震えていました。
そこで、二匹は、身を寄せ合って、体を暖め合おうとしました。

しかし、それぞれが身にまとっている鋭いとげのために、二匹が近づき過ぎると、お互いのとげが刺さり合って、痛くてたまりません。

それでは、痛くないようにと、二匹が少し離れてみると、やはり寒さに震えてしまいます。
そこで、また、暖め合おうとして、二匹が少し近づいてみると、やはり痛くてたまりません。

 はぁ〜、困ったもんですなぁ。(笑)
 ヤマアラシだけに、肩を抱くこともできないし(^^ゞ

   なぐさめも 涙もいらないさ
   ぬくもりが ほしいだけ
   ひとはみな 一人では
   生きてゆけない ものだから

そこで、二匹は、一晩中、近づいたり、離れたり…、を、いくどとなく繰り返して、ほどほどに痛みがなくて、ほどほどに暖かくて、ぬくもりが感じられるような、適当なふれあいの距離を見つけて、いつまでも幸せに暮らしました…とさっ。(笑)

 まずは、めでたし〜、めでたし〜♪。(笑)
 でも、これで話しが終われば世話ないけど。(^^ゞ

この話しは、心理学系サイトや、癒し系のサイト、経営マネージメントサイトなどで、よりよき人間関係や恋愛関係を築くためには、どうすればいいか、ということを論じる際のイントロダクション(導入部)に、よく用いられているドイツの哲学者アルトゥル・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)の有名な「ヤマアラシのジレンマ」という寓話です。

この寓話について、精神分析理論の創始者であるオーストリアのフロイトが、1921年(大正10年)に『集団心理学と自我の分析』で引用し、さらには、アメリカの精神分析医のベラックが、1970年(昭和45年)に『ヤマアラシのジレンマ(Porcupine's Dilemma)』という著書をあらわして、広く知られるようになりました。

「ハリネズミのジレンマ(Hedgehog's dilemma )」という言い方もありますが、生物分類学上まったく別種であるヤマアラシ(porcupine=ネズミ目ヤマアラシ科)と、ハリネズミ(hedgehog=モグラ目ハリネズミ科)とが混同されて使われているようで、内容は同じです。

ぼくが初めて、この「ヤマアラシのジレンマ」の話しを聞いたのは、大学の心理学の講義の中だったように思いますが、その後、就職してからの新採研修で、それも、男女間の恋愛を例にあげながら、愛と憎悪の関係などにも触れながらの研修講師の絶妙な話しを聞いて、かなり、興味を持ちました。(笑)

もっとも、本来は、職場の人間関係やコミニケーションについての研修だったはずですが。(笑)

ところで、ジレンマ(dilemma)というのは、ヤマアラシの寓話にあるように、相反する二つの事の板ばさみになって、どちらとも決めかねるような状態を言いますが、「ヤマアラシのジレンマ」を、人に即して言えば、人と人との間では、心理的な距離が近い人ほどに、お互いの傷つけ合いが深刻になるというような状態を指します。

互いにもっと親密になりたいと思って、近づき過ぎると、傷つけ合ってしまい、またそれを怖れて、離れすぎると、凍えてしまうというのは、精神分析的には、親しい人間関係に内在する、愛と憎しみの両面価値・両面性(ambivalent=アンビバレント)の問題でもあり、また、哲学的には、二律背反(Antinomie=アンチノミー)の関係にあることを示しています。

…書いている本人も、まるで理解困難なような難しい言葉を出してしまいましたが…。(笑)

もっと、ぶっちゃけて言えば、可愛さ余って憎さ百倍、親しき仲にも礼儀あり、あちら立てればこちら立たず、進むも地獄、退くも地獄っちゅう、抜きさしならない羽目になるちゅうことやね。(笑)

ちょっと、ぶっちゃけすぎたかな。(笑)

   空しさに 悩む日は
   あの人を 誘いたい
   ひとことも 語らずに
   おなじ歌 歌おうと

まっ、こんなときには、とりあえず、ひとことも語らずに同じ歌でも歌っているのが無難です。(笑)
ヤマアラシのカップルも、一晩中、近づいたり、離れたりせえへんと、一晩中、カラオケボックスで、カラオケでもしてたら良かったのかもしれまへんなぁ。(笑)

…冗談はさておき、なぜ、二匹のヤマアラシは、惹かれあったのでしょうか。

それは、震えるような寒さという同一の環境にあったせいだったのかもしれません。
この環境という言葉を、境遇という言葉に言い換えたら、分かりやすいかもしれません。

あるいは、体と尾の上面に生えている、とげ状に変化した硬い長毛というヤマアラシ独特の容姿が似ているからでしょうか。
この容姿という言葉を、ライフスタイル、生き様を決定づけている感性という言葉に言い換えたら、分かりやすいかもしれません。

いずれにしろ、どこか、似たもの同士であるがゆえに、惹かれあうということ…。

これは、一般的には、カナダの心理学者、ダットンとアロンの「生理・認知説の吊り橋実験」によって実証されたとする「恋の吊り橋理論」で説明されたりもしますが、恋愛関係のみならず、広く人間関係全般についても、言えることだと思います。

…しかし、これが、クセモノです。

外敵から身を守り、また攻撃の武器となるとげは、守らなくてもいい味方相手に対してもとげとなります。
そこで、痛くない距離を探り合うのですが…。

相手から突き刺されたとげはとても痛いのに、自分の出しているとげが相手を突き刺しているという痛みが分からない、もしくは、軽く見てしまう。

ぼくはきみとのとのふれあいを求めて、こんなに痛みを我慢して接しているのに、きみは痛い、痛いと、大げさに騒ぐのは不公平だよ。

あら、わたしのとげの痛みなんて、あなたのとげの痛みに比べたら、可愛いものよ、あなたこそ、なんで、わたしのために、少しは我慢してくれないのよ。

…と、ヤマアラシのカップルが、こんな会話を交わしたのかどうかは、ヤマアラシ語の勉強が苦手でしたので、知りませんが。(笑)

ともかく、ヤマアラシはヤマアラシなるがゆえに、惹かれあったわけで、他に求めるわけにはいきません。

もちろん、ヤマアラシさんが、ヤマアラシくんのとげの痛みに耐えかねて、今度は、多少、外見は似ているハリネズミくんを選んでもいいのですが。(笑)

しかし、ハリネズミくんとは、とげの長さも硬さも違いますから、きっと、どこか違和感を感じるはずです。

まして、雰囲気が多少似ているだけのアルマジロくんを選んだら、とげを折って、丸くなって転げ回らないといけないかもしれません。(笑)

   何気ない 心のふれあいが
   幸せを 連れてくる
   ひとはみな 一人では
   生きてゆけない ものだから

少しシビアに、シニカルに、考えてみれば、生まれてくるときも一人なら、死んでいくときも一人…、人は孤独に生まれて、孤独に死ぬ…、これはやはり、哲学的な真理かもしれません。

しかし、一方では、人は、人とのなんらかの関わりを持ってしか、生きていけないというのも事実です。

いや、そもそも生まれてくるとき、桃から生まれたわけでもなく、また、コウノトリさんが運んできたのでもない人の子であるならば、人と人との関わり合いの中で、やはり生まれ、育ってきたわけです。

昨今は、個性の時代と言われ、個の尊重が重視されるなか、人との関わりやふれあいを、わずらわしく思うような風潮があり、対人関係で傷つくリスクを避けようとする傾向が残念ながらあります。

しかし、人との関わりやふれあいは、決して、個の尊重を脅かすものではなくて、他との対比によって、個の存在理由(raison d'etre)を確認しあい、また、個を高めていくことができるひとつの手段です。

「ヤマアラシのジレンマ」を念頭において、相手との適切な距離を測りながら、人と関わり、ふれあうことがいま必要とされているのだと思います。

また、ふれあいを求めるのならば、甘えと依存から脱却して、まずは、尊重すべき自分自身を確立して、自立していくことが前提となります。
自分すら愛せないものが、人を愛することは不可能、まして、そんなふれあいなら、不毛ですから。

ふれあいには、心のそこから相手を思いやる気持ちとともに、そして、ほんの少しの孤独の痛みにも耐える勇気を持ち続けることが必要なのです。

   ひとはみな 一人では
   生きてゆけない ものだから
   生きてゆけない ものだから

そうそう…。
最後に、「ヤマアラシのジレンマ」で、なかなか相手との最適な距離を見つけられない不器用なあなたに、ご来館いただいた記念として、マスター(館長) とっておきの特別攻略版「ヤマアラシのジレンマ」対策を伝授しておきましょう。(笑)

まず、お互いのとげが刺さるか、刺さらないかの直前の距離まで、近づきあいます。
そして、ここで、おもむろに二本足で立ち上がって、向かい合って、ひしっと、抱き合うのです。
いろんな御託や講釈は不要!!
こうすれば、とげで刺し合うこともなく、簡単に、ふれあえて、ぬくもりが得られます。(笑)
「コロンブスの卵」風の超〜〜〜裏ワザでした。(笑)



この曲は、1974年(昭和49年)に放映された中村雅俊さんのドラマデビュー作の青春学園ものシリーズの「われら青春!」の挿入歌として使われ、この曲で、中村さんは、歌手としてもデビューされました。

前作「飛び出せ青春(村野武範さん主演)」の後継の青春ドラマとして、太陽学園に新しく赴任してきた新米教師の沖田俊(中村雅俊さん)と、マドンナ役の島田陽子さん、落ちこぼれ生徒役の保積ペペさん、教頭役の穂積隆信さんや、腰巾着役の柳生博さん、校長役の有島一郎さん、寮母役の菅井きんさんや、ラーメン屋親父役の名古屋章さんたちとの交流をコメディタッチに、さわやかに描いてました。
なお、主題歌は「帰らざる日のために(いずみたくシンガーズ)」です。

ちょうど、ぼくも高校生で、しかも、熱血教諭なき太陽学園みたいな自由気ままな高校(^^ゞ(笑)に在籍していましたから、河野先生や沖田先生のいるような高校がうらやましくもあって、感情移入しやすかったのを覚えています。

(初稿2003.10 未改訂)


ふれあい

作詞 山川啓介
作曲 いずみたく

悲しみに 出会うたび
あの人を 思い出す
こんな時 そばにいて
肩を抱いて ほしいと
なぐさめも 涙もいらないさ
ぬくもりが ほしいだけ
ひとはみな 一人では
生きてゆけない ものだから

空しさに 悩む日は
あの人を 誘いたい
ひとことも 語らずに
おなじ歌 歌おうと
何気ない 心のふれあいが
幸せを 連れてくる
ひとはみな 一人では
生きてゆけない ものだから

何気ない 心のふれあいが
幸せを 連れてくる
ひとはみな 一人では
生きてゆけない ものだから
生きてゆけない ものだから

1974(昭和49)年
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