涙流し疲れたとき 僕の腕のなかで
静かに夢を見るんだよ すべてを忘れて
泣き疲れるという言葉があります。
泣いて、泣いて、泣き疲れるということでしょうか。
乳幼児が泣き止まず、泣いて、泣いて、泣き疲れて、ようやく眠ってくれた、なんて、遠い昔の子育てのころのことを、懐かしく思い出した人も多いかもしれません。
あるいは自己体験として、泣き疲れたことがあるのかもしれません。
涙を流し疲れるほど、泣いた、遠いあのころのこと。
人は悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ、という有名な心理学者の説がありますが、どんな理屈にせよ、いずれにしろ、悲しいのも、泣くのも、事実は事実なのです。
もちろん、悲しいときだけでなく、感動したときにも、涙は流れます。
自分のことや親しい人のことではなくとも、見ず知らずの赤の他人のことでも、あるいは作り話という、うその話でさえも、感動すれば、泣くことができます。
泣いたあとは、すっきりして、ストレスから解放されるという、医学的、生理学的な理論もあって、これらの作用を利用して、積極的に、泣ける話を読んだり、聞いたり、見たりして、大いに泣こうといういうことが流行にもなっているようです。
もちろん、流行に関わらず、加齢とともに、涙もろくなったと実感する人も多いでしょう。
もっとも、加齢による涙腺機能の低下というよりは、加齢にいたる年月に積み重なった過去の体験や経験、学習から、人の話などにも、共感や同情がしやすく、つまりは感情移入することにより、情動的に涙が出るからとも考えられています。
もちろん、青春時代も、ちょっとしたことで、悩み苦しみ、嘆き悲しむことがありました。
めそめそとしたことがありました。
女々しくて情けなくなることもありました。
だから、一概に、加齢によるものともいえないようです。
いわゆる、意見には個人差があります、ですね。
いずれにしろ、泣き疲れて、静かに眠る。
睡眠薬を使うよりも、泣き疲れて、疲れ果てて、眠ることくらい強力な睡眠導入剤はありません。
そしてそれが一番良い良薬でしょう。
でも良薬は口に苦し…、でも苦い薬が、良薬であるとも限りませんけど。
しかし、涙が止まらないときには、無理に止めようとせず、また、傷口に塩を塗り付けるように、過去にこだわり、今を嘆き、未来に絶望するような処方だけは止めましょう。
サディスティックにすることがストレス解消になるような体質の方、泣いている自分が好きなナルシストのタイプの方は、一概に当てはまらないかも知れません。
いわゆる、意見には個人差があります、ですね。(笑)
一般的には、しばしまどろんで、時の経過を持つ、いわゆる時間薬が有効です。
さあ、静かに眠りましょう。
そこで良い夢が見れたら良いですけどね。
夢に破れ疲れたとき 僕の胸のなかで
心の傷をいやすのさ すべてを忘れて
もちろん夢なら目覚めたら覚めるものです。
そして、目覚めたら、やはり現実は現実です。
落ちた成績が上がっていることもなく、不合格が合格となっているわけはありません。
降格が昇進に変わっているわけもなく、下がった給料が上がっていることはありません。
振られたことが間違いでもなく、去って行った人が戻ってくることもありません。
そして、燃え尽きた命が、再び不死鳥のように蘇ってくることもありません。
そう、昨日に戻るような今日はありません。
そして、今日から続く明日があるのみです。
夢は必ず叶うものではなく、多くの夢は、夢のうちに覚めていくものです。
人の夢と書いて、儚い(はかない)と読ませる所以なのかも知れません。
しかし、また、一瞬のまどろみの夢に、しばしの癒しを感じることも多いものです。
そして、しばしの癒しを積み重ねれば、いずれ治癒されることがあるのかも知れません。
心の傷を癒すのは、やはり時の経過に勝るものはないのでしょう。
いわゆる時間薬というものの薬理的な説明になるのかも知れません。
生きてることに疲れたとき どこへも行かずに
走っておいでよ真直ぐに すべてを忘れて。
生きてることに疲れた
ら、じたばたせずに、右往左往せずに、しかし立ち止まらずに、一直線に、まっすぐに、走るだけ走ってみるのも、一案なのかもしれません。
走ったあとに待ち受けているのは何だろうか、そんなことは考えずに…。
ともかく、一所懸命に…。
走っておいでよ…。
顔は見ないさ はずかしいだろう
永遠にあなたは そのままで
そっとほほ寄せいってみる すてきな恋人
今回取り上げた「走っておいでよ恋人よ」は、1972年(昭和47年)にリリースされた、アリスの記念すべきプロデビュー曲です。
しかし、正直なところは、あまり全国的にヒットしませんでしたから、アリスファンや谷村新司さんファンと名乗られる方以外は、知らない方も多くいらっしゃるかもしれません。
アリスが全国的に知名度を高めたのは、初めてのヒット曲、1975年(
昭和50年)の「今はもう誰も」からで、この曲がアリスのデビュー曲のように思われている方も多いのですが、この曲は、実は1969年(昭和44年)に、カレッジフォークグループのウッディ・ウーがリリースして、関西ではヒットした曲のカバー曲になります。
アリスのリーダー、谷村新司さんは、高校時代からアマチュアバンドで「ロック・キャンディーズ」というグループを作っていましたが、フォークグループの世界的な元祖といえる「ピーター・ポール&マリー」、略して、「PPM」というグループに強く影響を受けたようなバンドで、「どこかに幸せが」という曲でプロデビューしましたが、かなりローカル的に流行っただけでした。
マスター(館長)が、この「ロック・キャンディーズ」を知っているのは、マスター(館長)が、「ロック・キャンディーズ」、いわゆる「ロッキャン」の女性ボーカルの人と、中学時代に同級生だった人のいとこがいるという、同級生の子がいたからです。(笑)
つまりは、その同級生すら、ほとんど無関係という関係なんですが、そのおかげで、この「ロック・キャンディーズ」を知ることになり、そのグループが解散して、アリスを結成した直後からその存在を知ることになり、そして、この「走っておいでよ恋人よ」にめぐりあった訳です。
といっても、ぼくが当時、アリスの熱心なファンになった、ということでもなかったわけですが、その同級生たちに引きずられるような格好で、コンサートのチケットを取るという場に居合わせたことがありました。
今のようなチケット購入システムがない時代で、学校の公衆電話から直接所属事務所に電話をすると、べーやんこと、堀内孝雄さんが出てきたのには、みんなびっくりしました。
思えば迷惑な話ながら「べーやんや、ほんまもんや」、と急に同級生から電話を回されたぼくは、「あのう、べーやんさんですか」、と、あほな応答しながらも、多少は気になっていた谷村新司さんもそばにいるのかと思い、「チンペイさんはいますか」、と質問すると、一瞬、間が空いてから、「いまうんこしてる」と、答えられて、それをみんなに伝えて、さらにみんなで騒いだことを覚えています。
コンサート会場がどこだったのか、どんなメンバーと行ったのかも、もうすっかり忘れましたが、まだまだビックバンドへの道は果てしなく遠かったアリスの時代のことで、たぶんどこかの市民会館程度の小さなホールで、アンコールは、「走っておいでよ恋人よ」を、谷村さんのリードで、会場全体で合唱するというようなアットホームな雰囲気だったように思います。
その後、「今はもう誰も」がヒットして、ようやく名を挙げて、それから、「冬の稲妻」「涙の誓い」「ジョニーの子守唄」「」チャンピオン」とヒット曲が続いて、いわゆる黄金期を迎える訳です。
アリスは、谷村新司さん、堀内孝雄さん、矢沢透さんの3人組ですが、この曲をリリースするときは矢沢さんの合流が間に合わなかったということで、ジャケットの写真も谷村さんと堀内さんだけ、だったらしいのですが、レコードは持っていたはずですが、あまり記憶にありません。
男子が、男子3人組のジャケット写真に興味がなかったのも当然でしょうし、それとまあ、3人とも、若いときの写真写りは、かなりまあ、それなりの容姿でしたしね。(笑)
すでに半世紀近い年を経ていますが、いまのアリスの3人の風貌の方がやはり、熟成して風味があるよなぁと思うのは、アリスのメンバーの年に近いマスター(館長)のひいき目でしょうか。(笑)