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「ひこうき雲」―荒井由実

荒井由実…松任谷由実…ユーミン。

ぼくは、はじめ、彼女があまり好きではなかった。

それは多分、ぼくの好きだった「神田川」などの叙情的な曲を、四畳半フォークと揶揄したユーミンに対して、音楽以前に、感情的に反発していたのだろう。

そんな、ぼくに、ユーミンを熱心にすすめた人がいた。

会社の取引関係の人で、ぼくより年長の彼は、業務のベテランでもあったが、温厚な人柄で、仕事の合間や昼食のときにする文学や音楽の雑談で、親しくなっていった。

あるとき、「いちご白書をもう一度」の話題から、ユーミンは…という話になり、強引に、ユーミンのカセットテープを持ってきた。
「Nさん、絶対、ええから、聞いてみてよ。」
それが、今回のタイトル曲、そして荒井由実のデビューアルバムのタイトルにもなっている「ひこうき雲」だった。

一年ほど経ったある日、彼は、部下の女の子を連れてきた。
私事都合で、仕事を休みがちになるので、しばらく彼女を代理として寄越すからと、挨拶をしにきたのだ。
仕事熱心な彼のことゆえ、私事とは言うものの、気になったので、しつこく理由を尋ねると、彼は重い口を開いた。

彼には、五歳になる男の子がいて、先天性の重篤な心臓疾患を持っていて、いよいよ手術をすることになったという。
「このままでは、あと数年の命しかないと言われて…。」
当時、ぼくは結婚はしていたが、まだ子供のいなかった頃のことで、励ます言葉も知らなかったが、ともかく、仕事のことは心配しないでと答えるのがやっとだった。

そして、ぼくは、大きなキリンのぬいぐるみ人形を買って、彼の代理で来る彼女に、彼に渡すようにとメモを添えて託した。
「お見舞いに行けないけど、ボクに手術頑張ったら、パパのお友達がもっと大きな人形持っていくから、と伝えてください。」
子供の頃に長い入院生活を経験しているぼくは、親の知人や友人が見舞いに来るのが嫌だった。
短い親との面会時間を、見知らぬ人になにか取られるような気がしたからだ。

手術の日…、昼からの手術で、予定では三時間から四時間くらいと聞かされていたので、夕方には終わるはずだった。
ぼくは女の子に、彼から手術の経過報告があったら、教えてほしいと頼んでいたが、日が傾いても、何の連絡もない。
すこし不安になった頃、彼女から電話があり、少し長引いているらしいとの中間連絡。
結局、無事、手術は成功して終わったとの連絡があったのは、夜も八時を回ってからだった。

翌朝の朝刊には、彼の子供の心臓手術のことが出ていた。
日本で初の新しい治療技術を使った心臓手術…。
「でも、心臓の手術で七時間もかかるってことは…。」
新聞を見た妻が首を傾げた。
心臓疾患のことは詳しく知っている妻が言うことなので、少し気になったが、ぼくは手術が成功したとの記事を信じて、そして、大きなぬいぐるみは、どこで買おうかなと考えていた…。

冷え冷えとした満天の星空。
祭壇の遺影は、少しおすましした笑顔。
いつか彼が嬉しそうに話していた、七五三のときの写真だろう。
遺影に一礼したとき、憔悴しきった彼がやってきた。
「Nさん…、仕事で疲れてはるのに、わざわざこんな遠くまで…、すみません…。ほんま、心配して貰ったのに…。」
そのあと、絶句した彼の肩に、手をやったあと、ぼくは、祭壇の横に置かれてある、キリンのぬいぐるみに気がついた。

ビニール袋に、リボンをつけたまま…。
持ち主の幼い死に、呆然としているようだった。
ぼくが見つめているのに気がついて彼は言った。
「Nさん…、あのキリン、とても喜んでました。こんな大きなぬいぐるみ持ってなかったから。…手術して、元気になったら、ぼくが一番に乗るから、絶対、ほかの子乗せたらあかん、言うて…。」
そして、再び、彼は絶句した。

次の日、ぼくは、休暇をとり、告別式に参列した。
憎らしいほどの澄み切った青空だった。
こんな悲しい葬式は見たことがなかった。
涙がとめどもなくあふれて、ハンカチがしぼれるほどに濡れた。

そして出棺のとき…、霊柩車に納められようとする小さな棺に、取りすがって、「わたしも行く!、わたしも乗せて!、ママも行くから!」と半狂乱で泣き叫ぶ彼の奥さんの姿に、参列者のみなが泣いた。

ぼくも、また、熱いものが込み上げてきた。
涙をこぼさないように、ぼくは上を向いた。
蒼い、さらに蒼い、青空が広がっていた。

ぼくに、不思議な力があったなら、この空に、あの子を乗せるひこうき雲を浮かべて見せられるのに…。
しかし、さらに冴え渡った青空には、雲ひとつ現れなかった。

初七日も終わった頃、会社に挨拶回りにきた彼が、帰り間際に、ぼくに、ぽつりと言った。
「Nさん…、言い忘れたけど、あの日、火葬場からの帰りに、一筋のひこうき雲が見えたんですよ。偶然でしょうけどね…。」
彼の寂しげな微笑に、ぼくは静かに頷いて、それから、かすかに微笑みかえすのがやっとだった。

   空に憧れて 空をかけてゆく
   あの子の命はひこうき雲

(初稿2000.11 未改訂)



ひこうき雲

作詞/作曲 荒井 由実

白い坂道が空まで続いていた
ゆらゆらかげろうが あの子を包む
誰もきづかず ただひとり
あの子は昇っていく
何もおそれない そして舞い上がる
空に憧れて 空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲

高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
ほかの人には わからない
あまりにも若すぎたと ただ思うだけ
けれど しあわせ
空に憧れて 空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲

空に憧れて 空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲

1973年(昭和48年)
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