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とぎれとぎれの話はやめてよ
あんたの心にしがみついた
ままの終わりじゃしょうがない
思い出となってしまった話は、もはや会話も弾みようもなく、あとは、どちらがさきに、いつ腰をあげるかどうかのタイミングを図っているだけのことになります。
あたいは恋花 散れば いいのよ
あたいはあんたに夢中だっ た
心からあんたに惚れていた
「好き」と「惚れる」という言葉は、同義語のような使い方をし、またそのような感じがしますが、また、微妙に違うように思います。
「好き」という言葉には、「嫌い」という反対語があり、また、「惚れる」という言葉には、「惚れて振られる」という用法はありますが、「惚れる」という言葉には、明らかな反対語はありません。
「好き」ということは、感情というよりは、知識・意識から派生していくものであり、一方、「惚れる」ということは、情そのものだからでしょうか。
この情というものは、なかなか厄介なしろものであり、かの文豪夏目漱石にして、「草枕」の有名な冒頭に、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」として、情に流される人間を描います。
燃えつきてしまった恋花は静かに
別れ唄歌うの疲れたまんまで
二人で心合わせたけれど
大きな夢を咲かせすぎた
恋の花は、他の誰がなんといおうと、恋人たちの心の中では、大輪の華麗な花を咲かせています。
しかし、大きければ大きいほど、鮮やかであれば鮮やかであるほどに、その姿形を維持していくには、膨大なエネルギーを必要とします。
燃えて散るのが花 夢で咲くのが恋
燃えて散るのが花 夢で咲くのが恋
ひとり咲き
エネルギーは不滅ながらも、時間という、また厄介な存在の影響を受けると、それこそ、他方にエネルギーは分散流失してしまい、花はもろくも色あせ、枯れてしまうものです。
夢の中でこそ咲かせ続けることができます。
もっとも、夢の中でもドライフラワーになってる場合もあります。(笑)
チャゲ&飛鳥、1978年(昭和53年)第16回ヤマハポピュラーソングコンテストに出場し、「流恋情歌」が入賞しました。
そして、翌1979年(昭和54年)第17回本選会では、この「ひとり咲き」を持って出場し、事前の大方のグランプリ獲得予想を見事に裏切って、また入選に終わってしまった話は有名です。
ツーコーラス目の出だしを間違えたというハプニングは、いかにも、このフォークデュオらしい逸話かもしれません。
いずれにしろ、翌年、「万里の河」がヒットして、チャゲ&飛鳥の名前を世に知らしめ、その後の活躍をはじめます。
そういう意味では、チャゲと飛鳥という、似て異なる二人のパーソナリティの絶妙なハーモニーの融和は、ひとり咲きというよりも、乱れ咲き、狂い咲きというのが正しいのかもしれません。
(初稿2001.2 未改訂) |