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北で生まれた僕が 寒さにふるえて
南で生まれた君が 汗かいていた
日本にはたくさんの 人が住んでるけど
こうして会ったのは 何かの縁でしょう
降る雪や 明治は遠く なりにけり
中村草田男
明治100年というのをご存知でしょうか。
ええっ〜100年?、うちは、むかし、確か、明治は45年までで終わりやって、おばあちゃんから教えてもろうたんやけどなぁ〜って、ボケているのか、マジなんか、よく分からんような、突っ込みはやめてね。(笑)
確かに、明治は45年までで、正確には明治45年7月29日まで、翌日7月30日は 大正元年になります。
同様に、大正15年は12月24日までで、昭和元年は12月25日に始まり、 昭和64年は1月7日に終わり、1月8日から平成元年になります。
ですから、当然のことながら、同じく1989年生まれながら、1989年(昭和64年)1月7日までの生まれの人は昭和生まれ、1989年(平成元年)1月8日以降の生まれは平成生まれになります。
まあ、統計としては、昭和64年は、平成元年としてカウントされることが多いのですが、ちょっと、そこの奥さん、いくら店頭アンケートだからといって、生年月日の生年をいつも、マイナス10年して書くのは、そろそろやめましょうね。(笑)。
当年とって…は、十年取ってではありません。(笑)
けど、どうしてもというのなら、ここは景気よく、マイナス12年にして、干支(えと)の話しを持ち出されても、ばれないようにしておきませう。(笑)
と、話がそれましたが、明治100年のはなし。
明治100年というのは、明治元年(1868年)から数えて、100年目の昭和43年(1968年)が、明治100年にあたったので、その年、いろいろと記念行事の開催や記念グッズが販売されていたようです。
ところで、その明治100年の前年にあたる1967年(昭和42年)に、日本の人口が、初めて1億人を超えたといわれました。
第二次世界大戦、つまり太平洋戦争では、「進め一億火の玉だ」、とか「一億一心」、「一億玉砕」という戦意高揚のための戦時スローガンを覚えている人…もいるかと思いますが、年がばれますね。(笑)
ちなみに、マスター(館長)は、あくまでこのことは体験ではなく、勉強の成果、歴史の知識として知っているだけですので、お間違いなく。(笑)
しかし、人口「一億」と、巨大国のイメージを鼓舞していたものの、これは実は、当時の中国や朝鮮などの植民地人口を加えたもので、実際の日本の人口は、8000万人を割っていました。
日本の人口は、縄文時代、弥生時代はわずか100万人に満たなかったといわれ、奈良・平安時代には約500万人、戦国時代を経て江戸時代に入って、1000万人を超えたと言われています。
それから、江戸時代末期までは約3000万人で推移しており、明治時代からの人口急増で、大正時代には5000万人、そして昭和時代も、後半の昭和42年になって、ようやく1億人を突破しました。
だから、日本にはたくさんの人が住んでいるけど、といえるようになったのは、そんなにむかしのことではありません。(笑)
ああ、なるほど、そうか…、明治100年の話は、そう話をつながらせる伏線だったのかと、ようやく、いまごろ納得した人もいるかもしれませんね。(笑)
日本にはたくさんの人が住んでいるから。(笑)
ともかく、日本にはたくさんの人が住んでいます。
総務省の統計によると、日本の総人口は、2004年(平成16年)で、1億2768万7000人でした。
ところが、2005年(平成17年)には、日本人の死亡数は出生数を約1万人上回り、1899年(明治32年)の統計開始以来初の「自然減」となりました。
いわゆる少子高齢化といわれる社会現象が及ぼす影響が、客観的な統計数値で、もっとも端的に数字に現れた形ですね。
そうです。
日本の人口は、これから減少していくのです。
平均寿命が100歳近くに伸びるか、お父さんやお母さんがもうひと頑張りして子どもを作るか、しない限りは、これが少子高齢化の未来予想図です。
ずっと心に描く 未来予想図は
ほら思ったとうりに かなえられてく
「未来予想図U」-Dreams Come True
ううっ、これは切ない。(笑)
一人去り、二人去り、そして、あなたも、ぼくも、やがてはこの世を去っていくのです。
でも、まだ、日本にはたくさんの人が住んでいます。
そして、その多くの人たちは、見ず知らずのままに、生まれて、生きて、そして死んでいきます。
そんな中で、ふとしたことで知り合ったことは、やはり、なにかの縁でしょう。
数多くのインターネットのウェブサイトの中で、この音楽館に辿り着いたのも、やはり、なにかの縁でしょう。
袖ふれ合うも他生の縁といいます。
他生というのは「たしょう」と読み、前世の、他に生まれたときの縁で、今に生まれた現世で、袖が触れ合ったというのです。
こうして会ったのは、あなたとマスター(館長)は、前世では、恋人どうしだったのかもしれませんね。(笑)
でも、また、その恋愛話のもつれから、殺人事件の被害者と加害者になったのかもしれませんね。(笑)
まあ、どちらが被害者で、どちらが加害者だったのかの検証は、この際、置いておきましょう。(笑)
恋はいつでも必ず 両刃の剣と同じ
傷つかない方がきっと 嘘をついてる
斬りつけていった方が
斬りつけられた方より
傷つく事だってあるはずよ
「検察側の証人」―さだまさし
ううっ、これも、切ない。(笑)
まあ、つまずく石も縁の端くれともいいます。
なんとも、縁は異なもの味なものでございます。(笑)
神社でさいせんの おこぼれひろった僕と
お祭りにだしのつなを ひっぱった君が
日本中の恋人たちの するように
僕の作った曲に 詞をつけて歌おう
最近は、どういうわけか、シンガーソングライターという言い方をあまり耳にしませんね。
和製英語だったからかなと思っていたら、英和辞典に、singer-songwriterという項目がありました。
もちろん、意味は同じです。
つまり、歌手と作詞・作曲家が分業していたのは、日本固有のものではなかったのですね。(笑)
ともかく、日本では、1960年代後半からのフォークブーム、そしてそれに続くニューミュージックが、シンガーソングライターを数多く輩出しました。
それを真似して、ひとつ覚えのフォークギターの循環コードだけで、オリジナル曲の創作に挑戦した人も多いはず。(笑)
彼女に作らせた歌詞に、むりやり曲をつけて、一緒に歌おうなんてことをした人も多いはず。(笑)
もっとも、神社のさいせんのおこぼれを、チマチマと拾っているような軟弱な男子の作った曲に、お祭りの山車(だし)をひっぱるような豪放磊落な女子がつけるような歌詞が、マッチングする方が、どだい無理な相談なんでしょうけどね。(笑)
しかし、縁は異なもの味なものでございます。(笑)
僕のことが大好きだって うなづいた君も
いつかはお嫁に行くよな ときがきて
日本中の女の人と 同じように
どこかの誰かさんを 愛すのでしょう
赤い糸の伝説というのを知っていますか。
よく考えてみれば、この伝説は、どんなに大好き同士の二人であっても、この赤い糸が結ばれていないと、二人は決して結ばれない、という悲しい伝説です。
人は生まれながら
赤い糸で結ばれている
そしていつかは
その糸をたどって めぐり会う
しかし その糸は 細くて 弱い
「赤い糸の伝説」―N.S.P
その糸は、細くて、弱い上に、もっと悲しいことには、人には見えないのです。
だから、やっと、赤い糸で結ばれた人とめぐり会ったと思うのも、やはりつかのまのひとときに過ぎないことに気がついて、やがて…。
ひとりじゃ 生きてゆけない
二人じゃ 死ねやしない
ひとりじゃ つらすぎるし
二人じゃ ダメになる
「漁り火」―N.S.P
世界は二人のためにある、なんて思っていたのに、二人の世界が微妙にちがうのではないか、なんてことを、つらつらと、どちらともなく、思いはじめて…、言い争いと言い訳のなかで、別れを考えはじめる。
どうして 「さよなら」は
いつの日も 出会いにつきまとう
「誰かが落とした悲しみを」―N.S.P
そう、会うは別れのはじめなり、となるのです。
しかし、一方では、趣味嗜好が異なって、性格的にもミスマッチングな二人と思われたのが、案外、いつのまにか、適合したりして、いわゆる「割れ鍋にとじ蓋」という言い方もあったりして、また俗にいうところの「腐れ縁」ともいう言い方もあったりしますしね。(笑)
なるほど、縁は異なもの味なものでございます。(笑)
しかし、恋人に限らず、夢であるとか、目標であるとか、そういったものに、つながり結ばれていてほしい見えない赤い糸を、どんなに探しても、どんなに探しても、探しあぐねることの方が多いのです。
それでも、やっとその赤い糸を見つけたと思って、そっと手繰り寄せてみたら、その赤い糸の先には、なんとも無情にも「ハズレ」や「売り切れ」「賞味期限切れ」なんて付いていることも、往々にして、あるかもしれないのですから。(笑)
遠くの方ばかり 過去のことばかりより
今のこのひとときを 大切にしよう
今日の風 今日の風 北北東の風
遠くの方ばかりを見ていませんか。
はるかかなたの遠くの方ばかりを見ていても、一歩でも進まないと、けっして近づいてはきません。
もはや、なすすべのない過去のことばかりをいつまでも思い出していませんか。
過去から続いていない今はない。
そして今はすぐに過去になる。
だから、過去をいとおしく思うのなら、今のこのひとときも大切にしなくてはいけません。
かなわぬ夢ばかりを追いかけていませんか。
夢はかならずかなう、と思うのは大切なことですが、かなわぬ夢ばかりを追いかけているのは、いつも夢を見ているのと同じで、つまりはなにもせずに、眠っているのと同じになります。
それより、今のこのひとときを大切にしませんか。
かなわぬ夢ばかり 追いかけてばかりより
今のこのひとときを 大切にしよう
今日の風 今日の風 北北東の風
今日の風は、北北東の風です。
でも、明日になれば、北東の風に変わっているかもしれません。
そして、あさっては、東北東の風へ…。
そして、いつかは、東風に…。
東風(こち)吹かば
匂い寄こせよ 梅の花
主なしとて 春な忘れそ 菅原道真
僕らを変えていった季節たち…。
そんな季節の移ろいの中で、忘れられない青春のかけら達…。
そんな青春のかけらを拾い集めれてみれば、ほら、まだ今でも、微かな、きらめきとぬくもりが残っているのに気付くはず…。
今を生きている僕たちです。
今のこのひとときを、大切にしよう…。
一日一日を大切に…。
N.S.Pがヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)に入賞したとき、彼らはまだ国立一関工業高等専門学校(高専)の学生で、なんとなく、アマチュアっぽくて、文化祭に出ていた学校の先輩が活躍しているみたいに親しみがもてました。
この曲は、1977年(昭和52年)春にシングルでリリースされた「弥生つめたい風」と同じ年の1977年(昭和52年)秋にシングルでリリースされ、「黄昏に背を向けて」というアルバムに収録されました。
N.S.Pのリーダー、天野滋さんは、2005年(平成17年)7月1日、大腸がんが全身に転移し、脳内出血で、亡くなられました。享年52歳でした。
さほど熱心なN.S.Pファンでもなかったのですが、人生の折節にN.S.Pの曲が、リードボーカルの天野さんの声が、慰めて励ましてくれていたように思います。
今のこのひとときを、大切にしよう…。
残された貴重な時間を、歌うことにかけ、そして歌を残すことによって、残された者たちへのメッセージを託してくれたものだと思っています。
謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。
(初稿2006.3 未改訂) |