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春日山から飛火野辺り
ゆらゆらと影ばかり 泥む夕暮れ
「飛火野」を「とぶひの」と、あっさり読まれた方は、大和路の旅に慣れた方か、または国文学の記紀歌謡に造詣の深い方か、あるいは、かなりのさだまさしファンでしょうか。(笑)
若菜つむ袖とぞ見ゆる春日野の
とぶひの野べの雪のむらぎえ
紀貫之−「新古今和歌集」
私事になりますが、母方の実家が奈良にあったので、奈良公園が帰省の際の遊び場所であり、春日大社参道の南側に広がるこの「飛火野」地域も遊び場エリアにありました。
実は、地元では、「とぶひの」という古典的な読み方は廃(すた)れていて、「とびひの」と読むのが一般的でしたから、この曲を聴いたときは、あれ?っ、どっちが正しいのかなと思ったものです。
「飛火」の字が当てられていますが、ほんとは「烽」の字を当てるらしくは、「烽−とぶひ」は、いわゆる「烽火−のろし」のことで、律令制のもとで、外敵の襲来などの変事を都に急報するための、のろしの設備が置かれたというのが地名の由来らしいです。
ちなみに、「泥む」というのは、もちろん、「どろむ」とは読まないように…って、普通は読まないかな。(笑)
贈る言葉の「♪暮れなずむ町の〜♪」の「なずむ」が「泥む」なんですが、とにもかくにもほんとに、さださんの歌詞について語るには、右に国語辞典、左に漢和辞典が必要です。
あっ、左右はあまりこだわらないでください。(笑)
右に橘、左に桜を置くかを気にするよりは、国語辞典、漢和辞典とそろえてから、古語辞典をどこに置くかで、悩んでください。(笑)
もっとも、さださんに言わせれば、関白から失脚した亭主は、右に定期券、左に生ごみを持って、毎朝、仕事に出かけるのだそうですが。(笑)
馬酔木の森の馬酔木に
たずねたずねた 帰り道
「馬酔木の森の馬酔木」に、歌を聴かないで、振り仮名無しに、単に漢字だけでこの歌詞を読めば、何とも分かりにくいと思います。
「馬酔木」は、もちろん、「うまよいぎ」でも「ばすいもく」でもなく、通常は、「あせび」、または地域によっては「あしび」と読みます。
だから、「あせびのもりのあせびに」、「あしびのもりのあしびに」と読めますが、なんとも、危険が危ないような読み方になります。(笑)
正解は、これは、読みがなで書けば、「あせびのもりのまよいぎに」となります。
馬酔木の花は万葉時代を代表する古典の花と言われ、花はスズランに似た白色壷状の小花で、花蕾は前年の夏からできて越冬して、早春から晩春までの長い間、開花しています。
牛馬がこの花を食べれば、その含まれる成分によって酔ったようになるということで、馬酔木の字が当てられたようです。
さださんは、まえの「馬酔木」を「あせび」と読み、うしろの「馬酔木」を、馬が酔う木、「ま・よい・ぎ」と読ませて、まよい…迷い、と掛けているわけです。
さださんの歌詞には、時として、言葉遊びとも思える語彙の使用が見られ、もちろん遊びとは言え、前提として、それだけボキャブラリーが豊かでなくてはならないし、それ以上に、感性が研ぎ澄まされていなくてはならないのは言うまでも無いことです。
遠い明日しか見えない僕と
足元のぬかるみを気に病む君と
結ぶ手と手の虚ろさに
黙り黙った 別れ道
さて、奈良の春日山から飛火野にかけては、小道が通じていて、この道には、「ささやきの小径」としゃれた名前がついてます。
馬酔木の森の中を抜けていく、恋人たちの散歩道といった風情のある道で、春先など、馬酔木の花の香りで、馬でなくても、酔ってしまいそうです。
馬が酔うのなら、奈良公園にいる鹿も酔うんじゃないの、なんて、なんて、ささやかないでくださいね。
それこそ、馬鹿といわれますよ。(笑)
さて、途中、大きな藤の大木などもあって、紫の藤の花越しに見える春日山原生林に見とれていたりして…。
ひとたび足元を見ると、ぬかるみはなくても、鹿のフンがコロコロと、いっぱい落ちていたりして、スニーカーの先にちょこんとついていたりします。(笑)
まあ、気に病むほどのことじゃないと思うのですが、フン・フン・フン・鹿のフンなんて思ってたら、(`へ´) 踏んだ!!!ってことになりますかね。(笑)
川の流れは よどむことなく
うたかたの時 押し流してゆく
昨日は昨日 明日は明日
再び戻る今日は無い
行く川の流れは絶えずして
しかも元の水にあらず
澱(よど)みに浮かぶ
泡沫(うたかた)は
かつ消えかつ結びて
久しくとどまりたるためしなし
鴨長明−「方丈記」
ここでさださんは、いわゆる本歌取りの手法で、無常を強調しているわけですが、秀逸なのは、後半の、昨日は昨日、明日は明日、という体言止の言い切り、そしてその論理的な帰結として、再び戻る今日は無いという、結論を導き出しています。
この「昨日」「今日」「明日」というキーワードから、もし「昨日・京・奈良、飛鳥・明後日」という、さださんの曲のフレーズが思わず出た人は、しばらく、さだまさしさんから離れた方がいいと思います。(笑)
このような人は、すでに脳の中に、ダスキン系さだ菌が感染し繁殖しており、100 番100番とわめき叫んで、119番される日も近いのですから。(笑)
いすれにしろ、昨日は昨日です。
昨日したこと、言ったことは、取り消せません。
そして、いずれにしろ、明日は明日です。
明日しようと思うことが、かならず明日できるとは限らなく、明日言おうと思ったことが、明日かならず言えるか分からないのです。
再び戻る今日はなく、今日しなければならないことは、今日を置いてほかにはなく、今日言わなければならないことは、今日言わなければなりません。
それが厳然たるときの流れであり、そしてその、ときの流れにそって、粛々と歩いていかなければならないのが人生、そして宿命なのです。
例えば君は待つと
黒髪に霜のふる迄
待てると云ったがそれは
まるで宛名の無い手紙
ありつつも 君をば待たむ 打ち靡く
わが黒髪に 霜の置くまでに
居明(ゐあ)かして 君をば待たむ
ぬばたまの 我が黒髪に 霜は降るとも
磐之姫皇后−「万葉集」
仁徳天皇の皇后であるとされる磐之姫皇后(いはのひめのおほきさき)は、古事記や日本書紀では、かなり嫉妬深い女性として描かれています。
磐之姫皇后は、仁徳天皇との間にもうけた子供を、それぞれに、のちの履中天皇、反正天皇、允恭天皇として即位させ、皇后としても揺るぎない立場にあっただろうと思います。
しかし、仁徳(じんとく)のある仁徳天皇ですから、他の女性も慈しみ愛することも多かったのでしょう。
磐之姫皇后にしても、やはり、皇后や母親としての立場を超えて、ひとりの女性としては、やきもきとしたのでしょうか。
このあたりは、大神ゼウスと女神ヘラのギリシャ神話をなにか想起させますね。
さて、この「黒髪に霜」の解釈については、ひとつは「黒髪が白髪になるまで待っている」という解釈があり、つまり、来ない彼氏を、白髪の老婆になっても待っているという鬼気迫るような解釈です。(笑)
もうひとつは、単に、気象的に、「霜が降りる夜まで夜通し待っている」…という解釈ですが、これも、考え方によっては、結構、恐いものがあります。(笑)
以上、二通りの解釈があって、文学部国文科(最近では、日本文学科と呼ぶらしいのですが…)では、万葉集の講義の最初に聞くよな話しです。
法学部出身のマスター(館長)が、その文学部の講義内容を知っているというのも、怖い話しでなんですが、法学部中退のさださんも知っているから、まっ、いいかもしれません。(笑)
ともかく、「黒髪に霜の降るまで」については、さださん自身がライナーノートで、万葉集からの引用としてあげていますので、これ以上は省略…、というか、これ以上書けばボロがでますから。(笑)
寝ぐらを捜して鳴く鹿の
後を追う黒い鳥鐘の声ひとつ
馬酔の枝に引き結ぶ
行方知れずの懸想文(けそうぶみ)
奈良公園の鹿は、春日大社の神鹿(しんろく)と言われていますが、神社が飼っているわけではなく、国の天然記念物に指定されていますが野生の鹿です。
ですから、寝ぐらも、東大寺や春日大社周辺、若草山や飛火野などで寝ることが多いようです。
ぼくは、夏休みに鹿と一緒に寝て、枕投げして遊んだ記憶…はもちろん、ありません。(笑)
びぃと啼く 尻声悲し 夜の鹿
松尾芭蕉
鹿が啼くのは、寝ぐらを捜しているからではなく、牡鹿が牝を呼ぶために啼いているのです。
つまりは、発情期の軟派(ナンパ)しているときの鳴き声なんですが、なにか物悲しく聞こえます。
鹿の懸想文(恋文)だからでしょうか。(笑)
ところで、鹿せんべいを食べたことありますか?
おいしそうな色をしていて、もちろん、鹿は、お辞儀してねだるくらい大好物なんですが、米ぬかと飼料を混ぜ合わせて、なんともいえぬ味です。
大阪のやんちゃな子たちは、奈良公園の遠足のときに、多分、みな経験済みでしょうね。(笑)
二人を支える蜘蛛の糸
ゆらゆらと耐えかねてたわむ白糸
君を捨てるか僕が消えるか
いっそ二人で落ちようか
奈良には、いわゆる大和三山と呼ばれる山があり、つまりは畝傍山(うねびやま)、香久山(かぐやま)、耳成山(みみなしやま)です。
いずれも標高200mに満たない低い山なので、いわゆる額田王をめぐる天智天皇(中大兄皇子)と、天武天皇(大海人皇子)との三角関係伝説などを織り交ぜて語りながら、ハイキングとして散策できます。
香具山は畝傍を愛しと
耳成と相争ひき
神代よりかくにあるらし
いにしえもしかにあれこそ
うつせみもつまを争うらし
中大兄皇子 「万葉集」
しかし、夫婦、恋人と行くときには、あなたもそうだったわよねぇ、なんて、話がうつせみ(現実)の話に展開されないよう、注意が必要です。(笑)
いつのまにか、春日山から飛火野を通り過ぎて、はるか山之辺の道に入って、大和三山までご案内しましたので、帰りのついでに、三輪山もご案内しましょうか。(笑)
三輪山は、山を御神体として、大物主神(おおものぬしのかみ)を祀る三輪神社があります。
全国的には、神社より、三輪そうめんでおなじみかもしれませんが、三輪神社を大神(おおみわ)神社とも呼ぶように、神様の中の大神様が、大物主神であり、
出雲の大国主神の国造りを手伝ったとされる神様です。
ということは、いつぞや、ギリシャ神話の大神ゼウスのお話をしたことがありますが、やはり、偉大な神様というのは、かなり…なんですね。(笑)
古事記によると、活玉依媛(イクタマヨリヒメ)という独身女性が妊娠して、名前も知らない男性が夜這いをしていたからということが分かり、両親が床に赤土を撒いて、娘にその男性の衣に麻糸を通した針をつけさせて素性を調べることにしました。
さて、男性が来た翌日、その赤土にまみれた糸をたどってみると、なんと、三輪山に続いており、男性が大物主神であることが分かったといいます。
そう、ふたりを結んだのは、蜘蛛の白い糸ならぬ、赤土にまみれた、赤い糸だったのです。
赤い糸の伝説は、こうして生まれました。
嘘ではありません、ほんとよ。(笑)
例えば此処で死ねると
叫んだ君の言葉は
必ず嘘ではない
けれど必ず本当でもない
まあ、嘘ではないけれど、本当でもない、諸説がある、そういうことって、やはり、神の世でない人の世には多いことかもしれません。
信じるものは…救われもしますが…、騙されもしますが、かといって、疑えば、またきりがないのなら、騙されていると思いつつも、信じるほうが幸せなのかもしれません。
つまりは、真実はひとつなのかもしれないし、人の数ほど真実があるのかもしれません。
日は昇り 日は沈み振り向けば
何もかも移ろい去って
青丹(あおに)よし 平城山の空に満月
さて、今回も、長々と話し込んでしまいました。
それでは、また、三輪駅から、JR桜井線で、天理を通って、奈良まで戻ることにしましょう。
そうそう、ちなみに、母方の祖父母は、JR奈良駅のひとつ手前の駅、京終(きょうばて)という珍しい名前の駅の近くに住んでいました。
平城京の南端にあたり、京の終わりで、京終です。
とうことで、京の終わりから、最後は、やはりかっての奈良の中心部である、平城京、まほろばの話をして終わりましょう。
なんか、強引な終わり方ですが。(笑)
えっ、馬酔木に酔う馬、せんべいを喰らう鹿が出てきて、最後は、魔法を使うろば、まほろばの話なの?…なんて、思う人はいませんよね、…たぶん、…おそらく、でも、まぁ、ちょっとはいるかも。(笑)
やまとは 国のまほろば たたなづく
青垣 山ごもれる やまとしうるはし
日本武尊(やまとたけるのみこと)−「古事記」
ということで、国のまほろば、平城山(ならやま)の空に、ひときわ大きな満月が〜っ…て…えっ、ところで、平城山って、どこにあるのかって。
そうなんですょ、わたしも、ご幼少の頃から探してるんですが、どこにあるかよく分かりません。(笑)
ということで、平城山検索隊。(笑)
そうしたら、北見志保子作詞、平井康三郎作曲の「平城山」という曲を発見しました。
人恋ふは 悲しきものと 平城山に
もとほり来つつ たえ難かりき
古も 夫に恋いつつ 越えしとう
平城山の路に 涙落としぬ
学校で音楽の時間に習ったような記憶がありますが、結構、意味深な歌詞だったのですね。(^^ゞ
で、結局、平城山なんですが、山というよりも、平城京の丘陵地帯を指すらしいのです。
ちなみに、JR奈良駅から、JR関西本線で京都方面に向かって、一つ目の駅にJR平城山駅というのがあり、次の駅は木津駅で、ここはもう京都になります。
ちなみに、JR平城山駅の南にある古墳が、ヒシアゲ古墳と呼ばれる前方後円墳で、これが、仁徳天皇の皇后磐之姫の御陵とされています。
同じく前方後円墳で、世界最大の墓とされる仁徳天皇陵が大阪府堺市にありますので、こんなに離れていては、平城山の空に満月は、なかなかかからないかもしれませんね。(笑)
ということで、あっけなく、それでは、さよう奈良!(笑)
この曲は、「夢供養」というアルバムにあります。
アルバムタイトルからして、ふっ、不吉な…と、思わず数珠を握り締めたくなるでしょ。(笑)
しかし、グレープを解散して、ソロとなって、「帰去来」、「風見鶏」、「私花集」と続いての「夢供養」というアルバムは、さだまさしワールドのひとつの集大成と思われるほど完成度の高いアルバムだと思います。
私事においても、モラトリアムの学生時代に別れを告げて社会人となる分岐点でありながら、体調は順調に悪くなっていくような時期でもあったために、「夢供養」の次の「印象派」よりも、印象深いアルバムでした。(笑)
(初稿2005.4 未改訂) |