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「みずいろの雨」―八神純子

   やさしいひとね あなたってひとは
   見ないふりしていたの 私のあやまち

やさしさ…ってなんだろうって…ときおり考える事があります。

広辞苑(第5版)によれば、やさしいというのは、動詞の「痩す」の形容詞形で、身も痩せるように感じること、とあります。

…ということならば、中年太りが気になるようなお年頃になると、やさしくなくなる、ということでしょうかね。(笑)
まあ、この音楽館で、青春時代を懐かしく思い出しているような世代同士になると、おなか回りを、見て見ぬふりくらいのやさしさはあるように思いますが。(笑)

   ひとときの気まぐれ 通りすぎるまで
   忘れてよ 忘れてよ 愛したことなど

あやまちを見ないふりするのがやさしさでしょうか。
もちろん、それもやさしさ…のひとつ…。
でも、ほんとうのやさしさとは、あやまちを見とがめて、諭(さと)して、さらに許せるいうことじゃないのかなって思います。

もちろん言葉で言うのは、簡単…、実際は、かなり難しいことで、やはり簡易には、見ないふりするか、聞かなかったことにするか、忘れてしまおうとするか、これはやさしさというより、易しさですね。(笑)

   とがめる言葉なら 素直にきけたわ
   ほほえんでいただけの なつかしい日々

でも、とがめる言葉を、素直にきくのも易しくないことです。
多くは、そのあやまちの言い訳に終始して、はたまた逆にキレて、あいてのあやまちに歯向かうというのが常でしょう。
かくして…、とがめの言葉を言い出せない…。

   傷ついたそのぶん さみしい目をしてた
   もどれない もどれない あの日のふたりには

信賞必罰という言葉があります。
手柄のあった者には必ず賞を与えて、あやまちを犯した者は必ず罰するということで、情実にとらわれず、賞罰を厳正に行うことを意味しますが、人材育成や、子育てなどにも通じることです。

いまの我が国に欠けてしまったものは、この信賞必罰と勧善懲悪(善をすすめ、悪をこらしめること)の考え方ではないでしょうか。
良いことをしたものは、徹底的に誉められ、悪いことをしたものは、徹底的に罰せられなければなりません。
賞罰を明確にして、善悪を峻別する。

いまの大人たちが、やさしさというラッピングの免罪符によって、曖昧にしてきたことが、いまの社会をこのようにしてしまったような気がします。

いちど、水色の雨で、きれいに流せればいいのですけどね…。

   ああ みずいろの雨
   私の肩を抱いて 包んで降りつづくの…
   ああ 忘れてしまえ
   あとかたもなく流されて行く 愛のかたち

八神純子さんは、愛知県名古屋市出身で、愛知淑徳高校生の頃から「ポプコン」に登場し、昭和53年「チリ音楽祭」で入賞後、「思い出は美し過ぎて」でデビューし、この曲が大ヒットします。
ボサノバっぽいラテン系のリズムが新鮮でした。
結婚後、渡米して海外でも音楽活動されています。

(初稿2002.6 未改訂)


みずいろの雨
作詞 三浦徳子
作曲 八神純子

ああ みずいろの雨
私の肩を抱いて 包んで降りつづくの…
ああ くずれてしまえ
あとかたもなく流されて行く 愛のかたち

やさしいひとね あなたってひとは
見ないふりしていたの 私のあやまち
ひとときの気まぐれ 通りすぎるまで
忘れてよ 忘れてよ 愛したことなど

ああ みずいろの雨
私の肩を抱いて 包んで降りつづくの…
ああ 忘れてしまえ
あとかたもなく流されて行く 愛のかたち

とがめる言葉なら 素直にきけたわ
ほほえんでいただけの なつかしい日々
傷ついたそのぶん さみしい目をしてた
もどれない もどれない あの日のふたりには

ああ みずいろの雨
私の肩を抱いて 包んで降りつづくの…
ああ くずれてしまえ
あとかたもなく流されて行く 愛のかたち

1978年(昭和53年)
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