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しぼったばかりの夕陽の赤が
水平線からもれている
季節の移り変わりは、気温の変化もさることながら、日中の長さの変化、つまり日の出や日の入りの時間が、日を追うごとに、早くなってきたり、遅くなってきたりするときにも、感じることが多いものです。
ところで、日の出や日の入りの時間というのは定義があって、太陽の上辺が、水平線または地平線に接するときの時間のことをいうのだそうです。
つまり、日の出、朝陽のときは、少しでも太陽が顔をのぞかせた時で、日の入り、夕陽のときは、太陽がすべて隠れてしまう時のことをいいます。
ちなみに、太陽が地平線から出てきたり、水平線に沈んだりというのは、もちろん、あくまで見かけだけのことであって、実際には、まるい地球の自転により、太陽が見えたり見えなくなっているに過ぎません。
これは、知識としては、いまや幼稚園児でも知っていることですし、ガリレオ・ガリレイという人が、地動説を提唱して、宗教裁判で、自説の撤回をさせられたときに、そのあとで、「それでも地球は回っている。」と言ったことまで知っているでしょう。
さて、ガリレオに先立ち地動説を唱えたのがコペルニクスなんで、地球を回したついでに、話しもコペルニクス的転回しますので、目は回さないように。(笑)
かっての小学生ならば、お兄ちゃんたちが、「だって、地球は、まるいんだもん!」なんていって、歌って踊っていたのを覚えている人もいるでしょう。
ボクから逃げようたって、駄目だヨ…
逃げれば 逃げるほど
ボクに近づくってわけ…
だって 地球は まるいんだもん!
地球を走れば 地球へもどる
東にまわれば 東にかえるさ
まるい地球は みんなのものさ
地球はひとつ みんなの仲間
「地球はひとつ」−フォーリーブス
まあ、この曲の作詞をした北公次さんは忘れていても、「マグマ大使ぃ〜」なんて叫んでいた江木俊夫さんなら、覚えているかもしれませんね。
えっ、フォーリブス?、マグマ大使?って、なんのことなのっていう人もいるかもしれませんね。
地球はひとつ、じゃなくて、地球は一つ〜、地球は一つ〜なんて、歌っているのは、誰だ、誰だ。(笑)
誰だ 誰だ 誰だ
空のかなたに躍る影
白い翼のガッチャマン
命をかけて飛び出せば
科学忍法火の鳥だ
飛べ 飛べ飛べガッチャマン
行け 行け行けガッチャマン
地球は一つ 地球は一つ
おお ガッチャマン ガッチャマン
さすがに、マグマ大使には、ハマったマスター(館長)でも、さすがに、この頃になると、もう高校生だったもんだから、ガッチャマンなんて、やはり、こっそりと隠れてしか見てなかったんですけどね。(笑)
まあ、いずれにしろ、飛行機かマグマ大使に乗るか、あるいは、ガッチャマンとして、空高く飛ばない限りは、実感としては、地球がまるくて、自転していることを感じることは少ないと思います。(笑)
しかし、大海原を航海する船旅をすれば、水平線が必ずしも一直線の水平ではなく、端がなんとなく、丸みを浴びているのが実感できます。
苫小牧発・仙台行きフェリー
あのじいさんときたら
わざわざ見送ってくれたよ
おまけにテープをひろってね
女の子みたいにさ
いまは海洋汚染のゴミになるからと禁止されていることが多いのでしょうが、むかしは客船が出航するときには、紙テープで見送るならわしがありました。
小さな頃から好きな風景は
港を離れる 大きな船を
五色のテープに 無事を祈って
涙で見送る風景
「五色のテープ」−ふきのとう
この風習は、1915年(大正4 年)に開催された、サンフランシスコ万国博で、日本から出品された包装用紙テープが大量に 売れ残ってしまったために、これに目をつけた森野庄吉と言う日本人が、「テープで別れの握手を」というふれこみで商魂たくましく販売したことがきっかけということです。
なるほど、だから、1912年(大正元年)に、氷山に衝突して沈没した豪華客船「タイタニック」号の出航シーンに、テープで見送る風景がないのですね。
ぼくが大学生のころに、フェリーで日本海の離島の旅をしたことがありましたが、見送る人もいないのに、港のフェリーの待合所の売店で売っている紙テープを買って、ためしに投げたことがあります。
そうすると、誰かを見送りに来てたのか、あるいは遊びに来てただけか分かりませんが、見ず知らずの高校生くらいの女の子たちが、拾う人のいないテープだと分かって、拾ってくれて、手を振ってくれました。
別れのテープは切れるものだとなぜ
気づかなかったのでしょうか
「海岸通」―風
岸壁が次第に遠ざかり、そしてテープが切れて、小さくなり見えなくなるまで、なんの縁もゆかりもないのに、ずっと手を振ってくれていました。
彼女たち、いいおばちゃんになってるだろうな。(笑)
女や酒よりサイコロ好きで
すってんてんのあのじいさん
あんたこそが正直者さ
この国ときたら
賭けるものなどないさ
だからこうして 漂うだけ
さて、そんなおばちゃんたちを悩ます、男の道楽といえば、いわゆる、飲む・打つ・買うです。
すなわち、大酒を飲み、博打を打ち、女遊びをすることで、この三拍子、三点セットが、三位一体として、そろっている男性諸氏も多いことでしょう。(笑)
大きな声ではいえませんけど。
でも、小さな声でも、ばれてますって。(笑)
しかし、まあ、ナニをするにも、先立つものはマネーですから、この御時勢で、すでに三位一体改革をせざるをえなくなっていることでしょう。(笑)
女や酒の話しは、別の機会に譲るとして、いやそんなもんマスター(館長)譲らんでもええって、女性陣からクレームがつきそうですが、まず今回は、一か八か、博打にしましょう。(笑)
「博才」って言葉があります。
念のために、言っておきますが、「はくさい」と読むのではなく、「ばくさい」って読みます。
もちろん、「きゃべつ」とは絶対に読みません。(笑)
マスター(館長)は「博才」には自信がありません。
博識の天才の意味だったら、まあ、これでいいのだのバカボンのパパくらいの自信はありますが。(笑)
広辞苑によると、「博才」 とは「博打の才能」です。
博打とは、財物を賭けて、サイコロや花札、トランプなどを用いて勝負を争うことです。
財物を賭けて勝負を争うということでは、競馬や宝くじなどもありますが、これは競馬法や当せん金付証票法に基づく合法的なものですし、パチンコや麻雀なども、いわゆる賭け事、ギャンブルに相当しますが、建前としては、景品や賞品は出しても、財物を賭けてするものではない、とされています。
学生運動や高度経済成長の終焉期に、なにに賭けて勝負したらいいのか分からなくなった時代背景は、逆にネットによる株取引の隆盛などとともに、逆に、勝ち組や負け組みなど、拝金主義的な格差社会の現代へとつながるようなフレーズにも読めます。
サイコロころがしあり金なくし
フーテン暮しのあのじいさん
どこかで会おう 生きていてくれ
ろくでなしの男たち
身を持ちくずしちまった
男の話を聞かせてよ
サイコロころがして
さて、一般的に、博打といえば、非合法な意味合いを持ち、いわゆる、やくざ映画によく登場します。
ちなみに、やくざの語源は、諸説がありますが、八・九・三らしく、花札やトランプなどの賭博では、どちらかといえば、役に立たない、価値のない、嫌われもんの札の数字の組み合わせの八・九・三からきているらしいのです。
なるほどねと、うなずいた方は、この賭け事の経験がおありかな。(笑)
さて、「博打」は、映画のタイトルなどでご存知かもしれませんが、漢字では「博奕」とも書いて、こちらは「ばくえき」、または「ばくよう」とも読まれますが、やはり、「らくよう」とは読まないようです。
「らくよう」と読むことができれば、今回の「落陽」とつながって、話しの展開はとても「らくよう(楽よう)」と思ったのでしたが、違いました。(笑)
さて、話しを戻して、はたして博打に、才能が必要なのか、とお考えの向きもあるでしょう。
才能とは、才知と能力、個人の一定の素質、または訓練によって得られた能力のことをいいます。
勝負度胸など先天的に博打に適した性格や、後天的に反復継続して得られた知識や直観力、技能には、確かに個人差が生じる余地がありますから、これを博打の才能、博才といえそうです。
優柔不断な性格で、集中力が偏在するタイプ、しかも、こだわり派ながらも、飽きやすい、そんな複雑な性格のマスター(館長)には、どうも、博才はなく、博打すれば、爆砕しそうです。(笑)
しかし、いずれにしろ、どんなに才能があっても、この能力を活用した博打は、刑法第185条の賭博の罪により、50万円以下の罰金又は科料、常習者は、3年以下の懲役に処せられることになります。
もっとも、「日本書紀」には、持統天皇の時代に、すでに、スゴロクに禁断令が出されていたことの記述があり、博打は人にとって禁断の果実なんでしょうね。
みやげにもらったサイコロふたつ
手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に
陽が沈んでゆく
かって30代のころに、10日ばかり入院したとき、二人部屋の同室者として、50代くらいの見た目もあきらかな、その筋のような人が移室してきました。
もちろん、その筋いうても、御堂筋でも、心斎橋筋でもおまへん。(笑)
その人の見舞い客も、いかにもその筋関係で、しかも話しの内容も、いかにもその筋のような話題。(笑)
そのときのぼくは、あらかじめの予定入院で、珍しく、安静度3からのスタート、つまりベッドは自由に下りれる状態でしたが、それでも、病室から逃げ出すわけにも行きません。
「兄ちゃんは、どこ悪いんや。」と話しかけられ、それから、自分の病状を、とうとうと語り、なんでも、痛み止めの注射をしてもらおうと思って受診したら、即刻入院しないと命にかかわると言われて、入院。
最初に入った病室では、同室者が夜中に急に苦しみだして、ナースコールしてあげたものの、明け方に息を引き取り、そのあっけない最後を看取ることになって、それで部屋を移ってきたとのことでした。
見た目よりは、繊細な神経らしく、人の苦しみ、痛みを感じ取っているようにも思え、それから、自己紹介がてらに話し込みました。
「そうか、兄ちゃんからみたら、同じかもしれんけど、わしらはやくざとは違うねんで。」、と話しが続いて、祭りや縁日などで、露店を出したり、見世物などの興行をしたりする人、あるいはその露天商の場所割りをしたり、世話をする人、つつまりは的屋(てきや)・香具師(やし)と呼ばれる仕事をしていると言いました。
「やくざはな、ただ繁華街をうろついて、シマやショバ代やいうて、カツアゲしてるだけで、仕事しとらん。今日来てた、若いもんも、いっとき、その道に入ってたけど、組長と話しをつけて、抜けさせて、いま汗かかせて、焼きそば焼かせてるんや。」
いわゆる映画「男はつらいよ」の「フーテンの寅さん」のような、知らず知らずに揉め事に首を突っ込んでいくような、世話焼きイメージだったでしょうか。
「若い頃な、ゴンタして、飲む・打つ・買うから、極道までして、妻子に逃げられた。兄ちゃんくらいの息子がいるはずなんやが、もう音信不通や。」、そういって、病室の窓から見える夕陽をみつめていました。
それから三日間ほど、飲む・打つ・買うの裏話やら、やくざ、的屋、露天商のはなしなど、いろいろと珍しい話しを聞かせてもらいました。
看護婦さんの目を盗んで、病院食の丼鉢にサイコロふたつを振る、チンチロまたはチンチロリンという古典的な博打も教えてもらいました。
もちろん、賭けたのは、マッチ棒でしたが。(笑)
「兄ちゃんとは、住む世界が違うけど、もしなんか困ったことがあったら、天神さんか住吉さんで、○○の○○探してるいうたら、連絡とれるからな。」、そういって、指の欠けた、いかつい手を差し出し、握手をしてくれ、専門病院へと転院していきました。
仕事の上で、そんな世界の方々とどうしても関わらなければならないときには、いまでも、このときの言葉を思い出して、勇気をもらっています。
戻る旅でも、戻らぬ旅でも、人生と言う名の旅の途上で出逢った人は、思い出のベールにつつまれて、いつも、ほんわか、暖かいものですね。
戻る旅に陽が沈んでゆく
この曲は、吉田拓郎さんの「よしだたくろう LIVE'73」で発表された楽曲です。
そして、1975年に、静岡県掛川市のつま恋多目的広場にて行われた、「吉田拓郎・かぐや姫コンサートインつま恋」でも、歌われました。
このコンサートは、フォーク界の裏切り者呼ばわりされた吉田拓郎さんと、軟弱な恋人同士だけの世界の四畳半フォークと揶揄された、かぐや姫の伝説のオールナイトジョイントコンサートでした。
もちろん、ぼくは行けなかったのですが、フィルムコンサートとして全国上映され、その後、テレビでも放映されたように記憶しています。
「落陽」は、かぐや姫の山田パンダさんも、歌ってヒットしており、吉田拓郎さんの歌よりは、やや優しく哀愁を帯びた、せっせの童謡曲を想起させるほのぼの物語系として歌われてました。
(初稿2006.5 未改訂) |