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映画館のロビーで、上映が始まるまでの待ち時間は、妙になにか、心がそわそわ、うきうきとするような時間…。
もちろん、恋人とのデートとしての時間なら、なおさら…。
映画館のロビーで
あなたの笑顔を 見てしまいました
私にではなく 誰か知らない人に
そそぐほほえみを
しかし、思いもかけない、時間が止まる瞬間…。
暗転という場面転換するための映画撮影の技法…というより、もともと演劇の舞台技法なんですが、まさしく、その一場面。
ロビーの人ごみと、そのざわめきは、一瞬にしてかき消すように消えて、おそらく、彼女と、そして、元彼である男性にだけ、小さなスポットをあてて、彼女の心象風景を表現する暗転という場面。
彼の笑顔に対して、彼女の顔の表情のこわばり。
映画のカメラワークとしては、二人の仲むつまじい様子を遠くに引いてから、フォーカスアウトして、彼女の目元にズームアップ。
そして、次に、彼女の手元に移動し…。
パンフレットを持つ手が
震える私の 目の前 通って
二人は腕組み 赤い扉の中へ
消えて行きました
言葉的には、映画の「パンフレット」というよりは、「プログラム」という呼び名の方が、なにか重みがあって、いいように思うのですが、いずれにしろ、その冊子を小刻みに震えさせて、視線をさまよわせる演出を、最初のみどころにします。
映画館のドアは、やはり温かみのある赤のレザー仕様の扉で、そのソフトながら、重厚そうな扉が、二人が入ったあとに、彼女の入場を拒絶するかのように、自然に閉まる道具仕掛け。
まあ大道具さんに仕掛け頼まなくても、普通の映画館のドアは自然に閉まりますが。(笑)
取り残されるような形になった彼女の後ろ姿に、開演の…。
ベルが鳴っています
私の愛をおびやかすように
あかり消えました
泣いてもいいと教えるように
ここも、開演のベルとするか、ブザーとするか、ここで音声さんたちは、悩むところです。(笑)
効果音的には、けたたましいベルの方が、おびやかし度は強くなりますが、映画館だけに、設置が義務付けられている消防法の規定による非常ベルとまぎらわしくなります。(笑)
「長らくお待たせいたしました。ただいまより…」、というアナウンスをかぶせるなら、低めの音のブザーの方がいいでしょう。
そして、非常口と禁煙のあかりを残して、あかりを消します。
忙しくて逢えない
あなたは電話でそう言ってました
私にごめんとすぐにあやまったのは
こんなわけですか
「わたしと○○と、どっちが大切なの!
そう言った覚えや、言われた覚えがある人も多いでしょう。(笑)
二人が交際しているときに、学業であるとか、仕事であるとか、あるいは個人的な趣味など、さまざまなことで、ほんとうに多忙で逢えないときって、確かにあるものです。
そして、それを真に受けて、「○○で忙しいんだな、無理して、身体こわさないといいけどな…。」なんて、ぼくのようなお人好しは、すぐに、そう思います。(笑)
そして、相手を慮って、こちらからの連絡も控えるのです。
でも、真実は…、違う場合が往々にしてあるものです。
真実の○○には、固有名詞の人名が入ったりします。(笑)
恋人とうまく別れるためには、まず交流の頻度を少なくして、疎遠にしていくというのがセオリーで、そのための理由付けとして、もっとも適している理由のひとつが、「忙しくて逢えない」、です。
まちがっても、ほかに好きな人ができたから…、もう飽きたから…、なんて、正直な理由は、修羅場を好む人はともかく、恋人とうまく別れるためには、避けた方が無難です。(笑)
ちなみに、サイモン&ガーファンクルのポール・サイモンに「恋人と別れる50の方法(50 Ways To Leave Your Lover )という曲がありますが、それにこれがあったかどうかは忘れましたが、挿入歌として採用して効果的かも知れません。(笑)
ともかく、ここの場面展開としては、月並みな表現となりますが、彼との電話の場面を、フラッシュバックとして、登場させます。
久し振りの彼の電話に、嬉々とした表情の彼女…、そして、逢えないことを告げられて、次第に曇っていく彼女の表情。
留守番電話が普及した時代までなら、電話の呼び出し音や応答メッセージ、そして視覚的には、録音を知らせる点滅ランプなども、登場させて彼女の孤独感を表現するのもいいでしょう。
ただ、携帯電話が普及した今日、この手法は使えません。
だから、時代設定は、やはり昭和時代とするか、遅くとも20世紀末期までにします。(笑)
冬の海を見せたい
私の心に届いた絵はがき
あなたのあとからついてゆこうと
決めて二年過ぎました
そして、スクリーンの明かりに、映し出された彼女の顔に、冬の荒海をオーバーラップさせていきます。
ここで絵はがきの文字を浮かびあがらせるか、それとも、彼と彼女の想い出のワンシーンを、フォギーなカットバックで挿入させてもいいでしょう。
しかし、決めてから二年も過ぎたわけですから、出会いから数えると、約三年以上の月日が流れていることになります。
この三年には、いろいろなエピソードが盛り込むことができます。
いま彼女たちが見ている映画のシーンから、回想シーンを交互に織り交ぜて表現するのも趣向かもしれません。
幕が閉まります
あなたの愛も終わりでしょうか
あかり灯ります
私一人を映し出すように
ともあれ、映画館にいって、なにが嫌かというと、映画のエンディングで、スクリーンにスタッフロールが出始めると、退場する人、そして入場する人で、館内がざわめいてしまうことです。
もちろん、本編は終了し、ただ単に、キャストやプロデュースした人の名前だけを流しているだけのスタッフロールもあります。
しかし、映画製作した人は、多くの場合、ここに、映画の凝縮したエッセンスやメッセージを盛り込むことも、多いのです。
とくに、いちばん最後に、名前を登場させる監督は、やはり、ここも手抜きはしていないはずです。
入場者側の動きだけでなく、休日などの混んでいる映画館では、映画館側が、そうそうと、幕を閉めたりして、幕の上にスタッフロールが流れていたり、すぐに、明かりがついたりします。
もちろん、はやく入場者を入れ替えて、興行収入を上げたい気持ちは分かりますが、それにしても…です。
映画館の外には
いつものざわめき 見慣れた街角
あなたと私に続く物語だけ
今は大事です
もっとも、銀幕の中の映画の世界から、現実への世界へ…、いずれは戻らなければなりません。
いつまでも、様々なシーンの感動に震えながら、映画館のシートに腰を下ろしていても、なにもはじまりません。
まあ、また次の上映くらいは始まりますが、結局、そのエンディングも同じことになりますからね。(笑)
ともかく、スクリーンに、「The End」 や、「完」 という文字が現われたら、立ち上がるしかないのです。
あなたのロードーショーは、もう終ったのですから…。
映画館を出て、現実への世界へ、見慣れた街角へ、コートの衿を立てて、ひとりで歩き出さなければならないのです。
次に、続く物語があることを信じて…。
ロードショーというのは、かっては9大都市(東京、川崎、横浜、大阪、神戸、京都、福岡、名古屋、札幌)の封切館での、映画上映を指しました。
ロードショーとは、映画フィルムの複製が容易でなかったころ、まさしく、道(ロード)伝いにフィルムが運ばれていって、上映されていたことが由来である…と、いつか「キネマ旬報」か、「ROAD SHOW」に載っていた話の受け売りです。 (笑)
ぼくは、高校のときに、映画研究部の部長をしていました。
もっとも、もう二十年ほど前のことになりますが…。
(あっ、そこのお客さん、指折り数えないでください。(笑))
映画鑑賞して、その批評を書いて校内に配布したり、8ミリフィルムで自主制作映画をとって文化祭で上映したりしていました。
高校生で金銭的余裕がなかったし、いまのようにレンタルビデオもなかったから、試写会や名画館通いをしていた日々でした。
現役の映画評論家のまま、享年89歳で、逝かれた淀川長治さんに、映画評論家になりたいが、と厚顔にも手紙を書いて、まずは評論するにはいろんに知識がいるから、大学に行かせてもらえるなら、大学受験の勉強をしなさいと、返事で諭された頃の話でもあります。
さて、青春音楽館の「ロードショー」いかがでしたか。
これは、昭和51年のほんとに懐かしい曲ですね。
優しい、優しい、素晴らしい曲でしたね。
館長さんのコメントも良かったですね。
では、またお会いしましょうね、さよなら、さよなら…さよなら。(笑)
古時計さんは、 大場弘一さんと西田昌弘さんとのデュオグループで、テレビドラマの主題歌ともなった「季節はずれの走馬灯」という曲も歌ってました。
その後、大場さん兄弟で、古時計として活動されていたと聞きますが、しばらくして会社経営に専念されて活動を停止されたようです。
西田昌弘さんは、音楽活動を再開されています。
(初稿2003.2 最終改訂2004.8) |