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星がひとつ空から落ちてきた
六月の子守唄うたう 母のもとへ
赤ちゃんは、コウノトリが運んでくるのよ、って子どもの頃に教えてもらって、そのことを長い間、信じていた純真な人も多いんじゃないでしょうか。
そういうマスター(館長)も、ほんのつい最近まで、そう思っていましたからね。
もっとも最近がいつのことかは、ともかくとして。(笑)
ところで、コウノトリが、赤ちゃんと幸せを運んでくるという伝説の発祥は、ドイツなどのヨーロッパ諸国といわれていますが、ヨーロッパのコウノトリは、生物学的に正しくはコウノトリの近縁種のシュバシコウという鳥で、姿や羽色、生態などはコウノトリとよく似ていますが、くちばしが赤いのが特徴です。
コウノトリやシュバシコウは、白鳥などと同じく、繁殖地から越冬地に渡っていく渡り鳥の仲間なんですが、環境が生息するのに適した地域では、繁殖地で留まる「留鳥」となるために、地域によっては年中見かけることがあります。
それゆえ、人をあまり怖れずに、人里近くの池や川辺や水田などで餌をついばんで、松などの木の上に、オスとメスがいっしょに巣づくりをして、仲むつまじくヒナを育てる姿を見せるため、それが、赤ちゃんを運んでくるという伝説として広まったのでしょうか。
ところで、コウノトリが、我が国の特別天然記念物に指定されたのは、1956年(昭和31年)ですが、それから、わずか15年後の1971年(昭和46年)には、我が国の野生のコウノトリ、つまり日本の自然の中で生まれ育ち繁殖するコウノトリは姿を消してしまいます。
農薬の影響などにより、餌となるドジョウなどが激減し、また営巣するための木が減少するなど、コウノトリにとっての生育環境が悪化したためです。
近年になって、環境意識の高まりとともに、人と自然の共生が再認識されて、最後の野生コウノトリの生息地であった兵庫県の豊岡市を中心に、コウノトリの野生復帰の試みがなされています。
一方、人間様の方の状況はといえば、1971(昭和46年)から1974年(昭和49年)の間は、いわゆる団塊の世代の子どもたちの第二次ベビーブームでした。
コウノトリが姿を消したのは、きっと第二次ベビーブームの到来で赤ちゃんを運搬するのが忙しくなるのが嫌だったからだという、うわさもあったとか、なかったとか、そりゃないでしょうね。(笑)
そして、マスター(館長)が初めてパパと呼ばれた1989年(平成元年)には、合計特殊出生率、つまり1人の女性が一生の間に産む子供の数が、子どもを産み控えて出生率が落ちる丙午(ひのえうま)の年よりも、さらに少ない1.57に落ち込みました。
いわゆる「1.57ショック」と言われて、少子化が広く社会的に関心を集めるようになりました。
人口維持に必要な合計特殊出生率は、2.07と言われ、つまり、夫婦二人が二人の子どもを残せば、人口としては過不足なしということです。
ところが、2002年(平成14年)には、合計特殊出生率が1.29にまで落ち込みました。
この合計特殊出生率が、1.29のままに推移すれば、西暦3000年代には、統計数値上、日本の人口がゼロになり、日本人全滅という予測も出ました。
そこで、ニッポンジンも、ニッポニア・ニッポン=朱鷺(とき)やコウノトリと同じように、全滅危惧種や別天然記念物に指定して保護するかどうかで、厚生労働省で検討したとか、しなかったとか、そりゃしないでしょうね。(笑)
まあ、日本人が全滅して、AMERICA人だけになってしまうと、誰かさんもいってたし。(笑)
そういえば友達はみんな
AMERICA人になってゆく
いつかこの国は無くなるんじゃないかと
問えば君は笑う
「前夜(桃花鳥)」―さだまさし
そういえば、ヨーロッパには、人間の赤ちゃんはキャベツ畑で生まれるという伝説もありますが、つまるところ、キャベツ畑から、コウノトリが運んでくるということにつながる連作昔話のようですね。(笑)
それでは、日本の場合は、代表的な昔話の桃太郎の桃のように、川が運んでくるのでしょうか。
おまえは橋の下から拾ってきたのよ、と親や兄姉から言われたことがあるという経験を持つ人が多いということは、それはきっと、川が赤ちゃんを運んでくるという発想が根底にあるからなのかもしれません。
これは民俗学的に研究の余地がありますね。
余地はありますが価値があるか知りませんが。(笑)
ところで、星が空から落ちてきて、お母さんのお腹に入って、赤ちゃんになるというような話しになると、かなり、オトメチックな発想、メルヘンチックな物語と考えがちですが、案外、女性には、そのような想いをもたれる方も多いのではないかとも思います。
もちろん、妊娠経験の無い男性のマスター(館長)の想像に過ぎなくて想像妊娠の世界ですが。(笑)
男性としたら、女性の突き出てくるお腹を見ていても、あるいは動いたと言われてさすっても、まだそれは女性の身体の一部のような感じがするものです。
男性の方は、母子が身体的に分離される出産によって、はじめて父子としての関係が生ずるというか、主張できるような気がします。
しかし、女性の方にすれば、十月十日もの間、すでに胎児との間で、母子としての関係が、厳然と存在しているのでしょうね。
そういう意味では、天空の星のいのちが、母のもとへ降り立ちて、不思議にも、いのちとして宿るというのが、母性としての実感なのかもしれません。
もちろん、母性というものは、女性に必ず備わっているというのは一般論に過ぎなくて、最近の愚かな母親たちは、母性のかけらも無いように、自己中心的に走り、子どもを虐待したり、死に至らしめたりすることがあるようです。
そういえば、子授け、安産、子育ての仏教の守護神である鬼子母神も、はじめは、子の母でありながら、常に他人の子を捕えて食べてしまうために、釈迦が、彼女が最も愛していた子を隠して、子を失う母親の苦しみを悟らせて、仏教に帰依させたと言います。
つまり、母が母たる源である母性というものは、もちろん女性の生理的、身体的な機能に基づく先天的な特性であるにしても、その母性を真に豊かなものに形成させていくかどうかは、後天的に得るさまざまな知識や経験、環境によるところの影響に大きく依存するものといえるでしょう。
子を産めば、母となるのではなく、母になろうとしなければ母にはならないのです。
それは父性も同じことだと思います。
子を成して、父となるのではなく、父になろうとしなければ、父たりえないのです。
子育て、育児を通じて、親である自覚のもとで、親として自らを育てないといけないのです。
育児が育自ともいわれる所以です。
そして、親は無くとも子は育つ、という一方で、子は親の背中を見て育つとも言います。
背中に疲労と困憊の文字を浮かべていませんか。
背中に憤怒と悲嘆を漂わせていませんか。
背中が丸くなっていませんか。
背伸びはせずに、背筋は伸ばしましょう。
さわるとすぐにこわれそう
ガラスのようなおまえだから
風がわるさせぬように
悪魔がさらっていかぬよう
しゃぼん玉 飛んだ
屋根まで 飛んだ
屋根まで 飛んで
こわれて 消えた
風 風 吹くな
しゃぼん玉 飛ばそ
しゃぼん玉 消えた
飛ばずに 消えた
生まれて すぐに
こわれて 消えた
風 風 吹くな
しゃぼん玉 飛ばそ
「しゃぼん玉」−野口雨情/作詞 中山晋平/作曲
この童謡歌は、作詞者の野口雨情が、生後まもなく亡くなった我が子への、鎮魂の気持ちを詠ったと言われています。
乳幼児死亡率が高かった時代、授かった子を病や事故で亡くすことも多かったのでしょう。
生活が豊かになり、医療技術の進歩や衛生的な環境も確保され、乳幼児死亡率が低くなりました。
それは良いことなんですが、その結果、多産多死から少産少死へと移っていきます。
そしていま、少産少死の行きつくところ、少子高齢化が大きな課題となっています。
そしておまえが目をさましたならば
一番はじめに私が見えるよう
長男が生まれたのは深夜未明でした。
長女が生まれたのも深夜未明でした。
よく覚えています。
なんでよく覚えているかというと、二人とも、出産費に深夜料金が加算されていたからです。(笑)
長男のときは、ガラス越しながら、しっかりと目と目とがあったのを覚えています。
他の子は、しわしわの猿みたいな顔に、しわか目か分からないくらいの目なのに、我が子だけは、人の顔をして、目をぱっちりと、可愛く開けていました。
最初の親ばかでした。(笑)
そして、まるで、ぼくと会うのを待ちくたびれていたかのように、大きなあくびをしました。
長女のときは、その長男と駆けつけました。
彼は小学三年生になっていました。
未明の電話に、二人で飛び起きて、病院に駆けつけました。
やはりガラス越しでした。
眠っていましたが、時折動く、赤ちゃんの手足を、兄となった彼は、不思議そうに見つめていました。
そして、まぶしそうに、彼女が薄く目を開けて、彼を見たとき、彼はうれしそうに微笑を返しました。
そんな時代もあったのですよね。(笑)
母はこうしていつまでも
いつまでもおまえのそばにいてあげるから
大きくおなり優しくおなり
母はこうしていつまでも
おまえのそばにいてあげよう
私の愛を忘れずに
マスター(館長)が生まれたのは、六月だそうです。
予定では、同じく六月が誕生月の母親と同じ頃が予定日だったらしいのですが、十日ばかり遅れて、月末の二十八日になったらしいのです。
残念ながら、生まれたときの記憶がありませんので、こればかりは親の言いなりです。(笑)
六月二十八日に、確かに生まれたのか、と追求されたら、記憶がないので自信がありません。(笑)
考えてみれば、みなさんも、偉そうに、私の誕生日は何月何日だとか言ったり、答えたりしていますが、それはあくまで、親や周囲からの他者の情報に基づくもので、おそらく、誕生月日の自己の体験、記憶に基づく人はいないでしょう。
梅雨のさなかの蒸し暑い時期で、おなかにあせもができて、ほんと大変だったのよ、とか…いまさら親に言われても困りますが、確かに、誰の力も借りず、自分一人で産まれて、大きくなった人はいないのです。
寝ていても、団扇(うちわ)の動く親心、這えば立て、立てば歩めの親心とも言います。
しかし、大きくおなりとは言えても、優しくおなりとは、今の御時勢を考えると、親として、なかなか言うことすら、ためらってしまいます。
やさしさ故に傷ついて
やさしさ故に傷つけて
「惜春」―さだまさし
これまで生きてきた経験の中で、優しさに足元をすくわれ、優しさががあだとなり、優しさを利用されて、優しさに翻弄されて、優しさが優柔不断の甲斐性のなさになっていくことを知っているからです。
人の親の心は闇にあらねども
子を思ふ道にまどひぬるかな
藤原兼輔−後撰和歌集
それでも、人として生まれたからには、人の親として、せめて我が子には、子を思うゆえに、こう言い続けたいと思います。
優しくおなりと…。
そして、優しさの意味を、ほんとうの優しさとはなにかを、自分自身で問いかけながら、見つけてくれたらいいなと思います。
星がひとつ空から落ちてきた
六月の子守唄をうたう母のもとへ
六月は水無月(みなづき)、天の水が無くなるほどに、雨が降り続く月だからと言われています。
確かに六月は、うっとおしい梅雨のさなかです。
しかし、その梅雨の天の恵みの水が、また地に潤いと安らぎを与え、生命をはくぐんでいることも忘れてはいけないのです。
六月に生まれたあなた、おめでとう。
そして六月に生まれたあなたの使命。
乾いた人の世に、六月の子守唄を。(笑)
そして、六月のもうひとつの異名、風待月。
風を待つ月です。
しめった風の背中越しに、やがて夏が来ます…。
この曲は、ヤマハポプコン出身のフォークデュオ、ウィッシュの代表曲のひとつです。
六月になるとよくFM放送などで流れる曲なので、曲名やアーティストを知らない人もなんとなく聴いた記憶があるかもしれません。
ポプコンが、アマチュアコンテントからプロのメジャーへの登竜門の音楽イベントとして定着しようとする頃の曲なので、これを懐かしいと思う人は、ポプコンオールドファンといえるでしょうね。(笑)
ウィッシュは、伊豆丸礼子さんと幸子さん、お二人の姉妹デュオで、ヤマハポプコンの前身である作曲コンクール時代から参加し、1972年(昭和47年)のポピュラーソングコンテスト'72(第4回ポプコン)で注目を集め、デビューします。
デビューシングル「御案内」は衝撃的でした。
今日 お葬式をします
どうぞ 涙は流さないで
慰めの言葉もいりません
ただ名もない花を一輪
今日 お葬式をします
私の愛が死んだのです
同情も今はいりません
ただ見守っていてください
おかんは秋の木の葉を2枚
そっとくるみましょう
こわさないように
白い煙は 悲しすぎます
どこかの小川へ流しましょう
今日お葬式をします
私の愛が死んだのです
どうぞ列席してください
「御案内」 作詞・作曲 伊豆丸礼子 1972年
今日お葬式をしますと、いきなり、お葬式の御案内で始まって、しかも、棺おけの話しやら、火葬場の白い煙まで登場するというリアルな歌詞内容は、縁起でもないと、顰蹙を買って、眉をひそめられました。(笑)
もっとも、さだまさしさんにも、「愛は死にますか」とか、「昨日迄の君は死にました、おめでとう」とかいう歌があるので、偉そうなことはいえません。(笑)
「ウィッシュ」は、1973年(昭和48年)の第6回 ポプコン本選会で入賞しますが、翌年の第7回出場後に、解散してしまいました。
母と生まれ来る子供との愛を描いたこの「六月の子守唄」という曲は、もともとは、やはりポプコン参加者の「みにくいあひるの子」というグループの曲で、作詞者、作曲者はそのグループにおられ、小坂明子さんや、芹洋子さんもカバーされていました。
ところで、グループ名はデビュー当時、「Wish」カタカナで「ウィッシュ」という表記でしたが、最近の復刻CDを調べると「ウイッシュ」という表記になっていますが、いちおう当時の表記のままとしておきます。
(初稿2006.6 未改訂) |