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もっと勝手に恋したり
もっとキッスを楽しんだり
なんか、いきなり、刺激的な内容の歌詞です。(笑)
胸の鼓動が、いっきに高まって、頭が、くらくらっとしそうなフレーズですよね。(笑)
禁酒禁煙の挫折を幾度となく味わって、生薬強心剤「救心」を肌身離さずに持っておられる男性諸氏や、めまい、のぼせ、ほてりなどの症状に、悩まされて、そろそろあの時期なのかしら、と思われている御婦人方は、とくに、ご自愛くださいね。(笑)
あら、小さな親切、大きなお世話だったかしら。(笑)
忘れそうな想い出を
そっと抱いているより
忘れてしまえば
しかし、落ち着いて読めば、含蓄があって、しかしよく読めば、あたりまえ、というような歌詞です。(笑)
忘れそうな想い出は忘れてしまえ!
なるほど、端的に、いい得て妙ですね。
忘れそうな想い出ならば、はっきりいって、そう、たいした想い出ではないはずです。
ささやかな想い出でも、忘れることのできない想い出ならばともかく、忘れそうな想い出ならば、なにもそんなに後生大事に抱えることは必要ないでしょう。
ともかく、忘れそうな想い出ならばすっきりと忘れて、また新しい想い出づくりした方がいいですよね。
忘れそうな想い出は忘れてしまえ!
まさに、そのまんま格言に使えますね。(笑)
それも、「忘れなさい」、なんて、どこぞの宗教家みたいに偉そぶって教え諭すように言うのではなくて、「忘れてしまえばぁ〜」なんて、クレヨンしんちゃんみたいに、軽く言うところが良いですね。(笑)
もっとも、忘れるにも覚えていない人には、なんの意味もないことですけどね。(笑)
今以上 それ以上 愛されるのに
あなたはその透き通った 瞳のままで
あの消えそうに 燃えそうなワインレッドの
心を持つあなたの願いが かなうのに
さて、今でこそ、ワインは、ボージョレ・ヌーボーの解禁が毎年ニュースとなって、酒屋の店頭を飾り、また抗酸化物質のポリフェノールを含んだアルカリ健康飲料としても、市民権を得ていますが、むかしはそんなに大衆的な飲み物じゃなかったですね…と、書いていて、ふと、思い出しました。
お正月が近づくと、我が家に、いつもは、お醤油かソースの一升瓶しか持ってこない酒屋さんが、赤茶色のお酒の入った一升瓶を持ってきました。
もちろん、母親が注文するからなんですが。(笑)
それは、甘口のぶどう酒(甘味果実酒)で、母子家庭となった我が家では、来客用でなく自家用に買っていた唯一のお酒がこのぶどう酒でした。
子供たちにも、お正月のお屠蘇代わりとして、少し飲ませてもらった記憶があります。
もっと何度も抱き合ったり
ずっと今夜をゆれ合ったり
哀しそうな言葉に
酔って泣いているより
ワインをあけたら
そのぶどう酒の一升瓶には、印象的な、大きな赤い丸が描かれているラベルが貼ってありました。
そう、「赤玉ポートワイン」です。
これもワインの一種だったのですよね。(笑)
記憶されている方も多いかなと思います。
調べてみると、名前こそ、いまは「赤玉スィートワイン」と変わっていますが、現在も販売されていました。
さらに調べてみると、「赤玉ポートワイン」の「赤玉」はすなわち太陽(サン)で、創業者の名前の鳥井(トリイ)をくっつけて、「サントリイ」、そう、これが酒造メーカである「サントリー」の社名の由来なんだそうです。
サントリーの前身というのは、大阪市西区靱中通で、鳥井信治郎氏が、ぶどう酒の製造販売をするために創業した「鳥井商店」です。
ぶどう酒は、室町時代には、すでに南蛮貿易により、我が国に伝来していましたが、国産品となると、1877年(明治10年)、大日本山梨葡萄酒会社(現在のメルシャンワイン)のものが最初となります。
しかし、栽培や醸造技術の未熟さもあって、日本人の嗜好にあまり合わず、普及しませんでした。
鳥井氏は、1906年(明治39年)、スペイン産のぶどう酒をベースにして、日本人の好みに合うように、香料と甘味料を調合して「向獅子印甘味葡萄酒」作り、このとき、社名を「壽屋洋酒店」に変更しました。
なお、向獅子印というのは、記憶されている方も多いと思いますが、二頭の獅子が向かい合って楯を守っているマークで、1990年(平成2年)に現在の響マークに変わるまで、サントリーの社章でした。
さて、その「壽屋」は、1907年(明治40年)には、「向獅子印甘味葡萄酒」を、さらに口当たりよく改良を加え、美味・滋養・葡萄酒のキャッチコピーのもとに、「赤玉ポートワイン」を発売します。
この「赤玉ポートワイン」が大ヒット商品となって、「壽屋」の盤石な経営基盤を築くこととなり、1929年(昭和4年)には、念願の国産の最初のウイスキーを作り、「サントリーウイスキー白札」と命名しました。
そして1963年(昭和38年)のサントリービール発売の年に、社名を「壽屋」から現在の「サントリー」に改めたとのことです。
関係者でも、スポンサーでもないのに、長々と「サントリー」の宣伝をしてしまいました。(笑)
でも、まだ、話は続きがあります。(笑)
今以上 それ以上 愛されるのに
あなたはただ恥らうより てだてがなくて
あの消えそうに 燃えそうなワインレッドの
心をまだもてあましているのさ
この夜も
そのサントリーは、1972年(昭和47年)には、「サントリー・デリカワイン」を発売します。
この「サントリー・デリカワイン」の「金曜日には、花買って、パン買って、ワインを買って帰りまぁす。」のテレビCMに触発されて、夫婦で、家庭で、手軽にワインを飲むような食生活が流行りました。
1970年(昭和45年)の外国産ワインの輸入の自由化の影響もあって、国内のワインの消費量が飛躍的に伸びた、いわゆる、第一次ワインブームの頃です。
そして、社会経済の変化とともに、価値観の多様化や、国際化社会の進展に伴う、円高や関税率の引き下げなどによって、第二次、第三次と、ワインブームは、波のように繰り返されました。
そして、ボジョレー・ヌーヴォー人気が牽引となって、第四次ワインブームが、1987年から始まります。
ボジョレー・ヌーヴォーは、新酒ならではのフレッシュでフルーティな味わいで、時差の関係で日本がフランスよりも早く飲めるために、ちょっとした優越感と季節感を楽しむ日本人の間でブームとなりました。
そして、第五次ワインブームは1995年頃からで、低価格ワインの発売により、ワインが日常的に気軽に飲まれ、また、これより少しまえに、赤ワインに含まれる成分が健康によいとの医学的な研究成果が公表されたことも、ブームの助長と定着に拍車をかけました。
今以上 それ以上 愛されるまで
あなたその透き通った 瞳の中に
あの消えそうに 燃えそうなワインレッドの
心を写しだしてみせてよ ゆれながら
ワインに関する専門的知識をもって、レストランなどで客の相談に応じてワインを選ぶ手助けをする給仕人のことをソムリエ(sommelier)と言います。
マスター(館長)は、レストランのシェフや喫茶店のマスターなどにはなりたいと思ったことがあるのですが、ソムリエにはなりたいと思ったことがありません。
なりたいと思っても、おそらく知識は身につけることができるでしょうが、実技の方がまったく身につかないでしょうから。
身につくまえに、テスティングしているだけで、もう酔っ払ってしまいますからね。(笑)
ちなみに、マスター(館長)は、粕汁、ウィスキーボンボン、奈良漬でも酔うタイプです。(笑)
この雑文も、ワインをあけながら、少し酔って書いていたら、井上陽水さんの歌詞から想像、妄想を膨らませて、もっと、心ときめき、ドキッとさせるような、艶めかしい、妖艶な危険な香りのするものになっていたのかもしれません。(笑)
ちなみに、マスター(館長)は、今回、ワインレッドのアセロラドリンクを飲んで書きました。(笑)
まあ、赤ワインを、動脈硬化・老人性認知症・脳梗塞・リウマチ性疾患・心筋梗塞・痛風・糖尿病・ガンなどの病気の原因となる活性酸素と戦うための抗酸化物質、ポリフェノールを摂取するために飲用されるみなさまのためには、この雑文くらいの方が健康的な「安全地帯」でいいですよね。(笑)
安全地帯というグループは、メンバーは何度かの変遷を経ていますが、卓越したリーダの玉置浩二さんが、北海道旭川市の中学校の友人たちと組んだロックバンド「安全地帯」が発祥だそうです。
その「安全地帯」は、1973年(昭和48年)ポプコン(ポピュラーソングコンテスト)第6回に初出場し、北海道で実力No.1のアマチュアバンドとなり、1981年(昭和56年)には、井上陽水のバックバンドとして上京し、翌年プロデビューしました。
そして、1983年(昭和58年)に、サントリーのCMソングに起用された、この「ワインレッドの心」が大ヒットしました。
「安全地帯」というバンド自体は解散せずに、活動休止をし、再開、また休止をくりかえしています。
玉置浩二さん、1958年(昭和33年)9月13日生、北海道旭川市神居町出身。血液型はA型。
1991年〜1998年までは、薬師丸ひろ子の旦那さんでしたが、辛そうで泣きそな顔が、女性の心をくすぐるのか、その他の女性ともロマンスが、さすがロマンスグレーですね。(笑)
(初稿2005.12 未改訂) |