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「夢の途中」―来生たかお

   さよならは別れの 言葉じゃなくて
   再び逢うまでの 遠い約束

とても、いいフレーズだと思います。
今日は、せっかくここまで来られたんですから、是非とも、このフレーズだけは、覚えて帰ってください。

色紙に書き出して、100円ショップの造花の花でも添えて、トイレに張っておいても、良いですね。(笑)
武者小路実篤さんや、相田みつをさんの色紙と並べてもいいかもしれませんねぇ〜。(笑)

あとのフレーズは、忘れて頂いても、結構です。(笑)
それでは、今日は、このへんで〜〜〜m(__)m

…と、カルチャーセンターの講師さんなら、したり顔をして、こう言って、終わることができますよね。(笑)

ところが、青春音楽館のマスター(館長)ともなると、いちおう、この曲がBGMとして流れている時間くらいの読める分量の文章を書かないと、え〜、今回は手抜き〜〜というブーイングが出ますので、退屈な方でも、も少し、おつきあいください。(笑)

さて…、さよならは、もちろん別れの言葉です。

…そうでないと、いつまでたっても、別れられませんからね。(笑)

もっとも、広辞苑には、さよならの語源は、さようなら【左様なら】であるとし、元来は接続詞であって、「それならば」、を意味する言葉で、それから、別れの挨拶語となったとあります。

接続詞というのは、単語と単語、また前後の文節や文を接続するはたらきをもつ品詞であって、並立、添加、選択、順接、逆接などの種類がありますが、さよならはどうでしょうか。

さよなら《それならば》、別れましょう。
さよなら《それならば》、また会いましょう。

でも、どちらが、順接で、逆説なんでしょうか。

一般的には、さよならの使用法としては、やはり、順接としての、別れの言葉なんでしょうが、ときとしては、さよならに、また会いましょうの逆説的な意味を込めて、別離の衝撃を緩和させるという効用もあります。

  また会おうと云った
  もう会えないくせに   荒井由美「12月の雨」

言わずもがなのこと、暗黙の了解事項ですね。
さよならのかわりに、またね、の言葉…。
いわば、別れのセレモニーの社交辞令です。

しかし、それだからこそ、救われることも、多いのかも知れません。
もう会えません、会いませんし、べつに会いたくもありません…なんて、正直にいえば、別れの言葉にならないのが、でも、なんともやりきれませんね…。(笑)

…そうそう、似たような、使用例があります。
ずっと、このまま、友達のままでいましょうねっ、て言われた記憶のある方、おられますか?(笑)
そして、そのまま、友達のままでいられた方、おられますか?(笑)
…いずれにしろ、日本語って難しいですよね。(笑)

もっとも、英語でも、Good-Byでなく、See you、と言う言い方があり、フランス語では、reviewの意味を持つ、Au revoir(オルヴォワール)、中国語では、再び会いましょうと言う感じで、ツァイチェン(再見)、朝鮮語では、アンニョンヒケセヨと、次に会うまで安穏(元気)でいてくださいね、など、すべて再会の意を含んでいますから、これは万国共通かもしれません。

   現在を嘆いても 胸を痛めても
   ほんの夢の途中

ところで、ここで、唐突なんですが、『一炊(いっすい)の夢』という言葉があります。(笑)

貧乏で立身出世を望んでいた盧生(ろせい)という青年が、趙の都、邯鄲(かんたん)で、呂翁という仙人から、枕を借りて、うたた寝をしたところ、50年間に及ぶ自分の人生の栄枯盛衰の物語の夢を見ます。

しかし、覚めてみると、炊き掛けていた粟(あわ)が、まだ煮えていないほどの短いわずかな時間であった…という、中国の唐代の伝奇小説「枕中記(ちんちゅうき)」の中にある物語です。

この話しをもとに、この世の栄枯盛衰や、人生の栄華のはかなさをたとえて、『一炊の夢』、または、『邯鄲の夢』とも言います。

…となれば、いまだ人生の途上にあるわたしたちは、一炊の夢を見ているどころか、まだ、ほんの夢の途中にあるといえるのかも知れません。

   このまま何時間でも 抱いていたいけど
   ただこのまま冷たい頬を あたためたいけど

この、けど…というのは、「けれども」という接続助詞の短縮形とされ、逆説的に用いられます。
接続詞と接続助詞の品詞の相違については…、もう調べるのに疲れたので、あとはお近くの国語か英語の先生にでも聞いてください。(笑)

しかし、このフレーズは、要するには、夢の途中において、その夢の場所にとどまることは、できないということを示しています。

まっ、醒めてしまった夢、醒めつつある夢に未練を残すのではなく、新たな夢を追い求め、夢を見続けることが必要なのかもしれませんね。

たしかに、人の夢、人偏に夢と書いて、儚い(はかない)と読ませますね。

誰ですか、儚いよりは、やっぱ穿かない方がいいよなぁ〜って、不謹慎なこと言ってるのは。
…えっ、って、なに穿かないのかな?
でも、穿かないと、やっぱ、風邪引いちゃうね〜(笑)

   都会は秒刻みの あわただしさ
   恋もコンクリートの 篭の中
   君がめぐり逢う 愛に疲れたら
   きっともどっておいで

なかなか言えそうで、言えないのが、この言葉です。
もどっておいでというのは、それまでの間は、ともかく待っているということです。
しかも、かならず、もどってくるという確証はないのですから。

それでも、もどっておいでというには、そんな孤独にに耐えうるほどの自分のなかに、確たる自立心と自信に裏付けられた優しさがあるからです。

まあ、単に、間抜けなよほどのお人好しなだけって場合もあるかもしれませんけどね。(笑)

   スーツケースいっぱいに つめこんだ
   希望という名の 重い荷物を
   君は軽々と きっと持ち上げて
   笑顔見せるだろう

希望はときとして、ペガサスの翼で、いまにも天に昇らんとするような上昇感覚を与えてくれます。
しかし、いっぽうでは、その希望が、過熱してしまって、イカルスの翼のように、翼を失って、失墜していくことにもなります。

しかし、少なくとも気持ちの若さを失っていないと自負するならば、多少、腰は引けていても、希望という名の重い荷物を、ぎっくり腰にならない程度に、持ち上げてみましょう。(笑)
まあ、苦笑いも、笑顔のうち〜〜〜と。(笑)

   愛した男たちを かがやきにかえて
   いつの日にか僕のことを 想い出すがいい
   ただ心の片隅にでも 小さくメモして

ともかく、醒めてしまった夢であったとしても、その夢の続きは、また、夢を見ることから、始めることができます。
まったく同じ夢ではなくても、夢の続き…。

いつまでも、夢の続きを…。

まだ人生の途上にあるわたしたち、夢の途中にある愛しきものたちへ…。


この曲は、薬師丸ひろ子さん主演の角川映画「セーラー服と機関銃」の映画公開時に、「セーラー服と機関銃」の曲名の主題歌として、薬師丸ひろ子さんが歌い、ヒットさせました。

セーラー服の女子高生の姿の組長役である薬師丸ひろ子さんが、機関銃を乱射をしながら、「カ・イ・カ・ン!」と叫ぶシーンとともに、殺された渡瀬恒彦さんとのラストのキスシーンが印象的でした。

なお、歌詞の3行目と4行目にある「現在を嘆いても 胸を痛めても ほんの夢の途中」が、「セーラー服と機関銃」では、「夢のいた場所に 未練残しても 心寒いだけさ」となっていました。

薬師丸ひろ子さんの「セーラー服と機関銃」のヒットとほぼ同時に、作曲者の来生たかおさん自身が歌った、この曲「夢の途中」もヒットしました。

また、作詞の来生えつこさんは、来生たかおさんの姉にあたる作詞家です。
(初稿2003.10 改訂2005.6)


夢の途中

作詞 来生えつこ
作曲 来生たかお

さよならは別れの 言葉じゃなくて
再び逢うまでの 遠い約束
現在を嘆いても 胸を痛めても
ほんの夢の途中
このまま何時間でも 抱いていたいけど
ただこのまま冷たい頬を あたためたいけど

都会は秒刻みの あわただしさ
恋もコンクリートの 篭の中
君がめぐり逢う 愛に疲れたら
きっともどっておいで
愛した男たちを 想い出にかえて
いつの日にか僕のことを 想い出すがいい
ただ心の片隅にでも 小さくメモして

スーツケースいっぱいに つめこんだ
希望という名の 重い荷物を
君は軽々と きっと持ち上げて
笑顔見せるだろう
愛した男たちを かがやきにかえて
いつの日にか僕のことを 想い出すがいい
ただ心の片隅にでも 小さくメモして

1981年(昭和56年)
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