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もう泣かないで 悲しまないで
折れるほど抱きしめていても
もう戻らない あの日あの時
かけがえのない季節だった
「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ。」という、心理学の入門書には必ずといっていいほど紹介されている、有名な古典的学説があります。
いまから、100年以上も前に、心理学者のジェームズ(William James)と、ランゲ(Carl Lange)が提唱した、ジェームズ=ランゲ説というもので、まず生理的、身体的な反応、変化が生じて、それが感情を引き起こすのだとしました。
ある種の感情が生じて、ある種の身体的な反応が起こる、つまりは、悲しいから泣くのであり、楽しいから笑い、恐いから震えるのだという、それまでの経験則的な常識を覆す学説で、注目を集めました。
これに対して、脊髄に損傷を受け身体的な反応が無くなった人も、はっきりと感情を示すことの説明が、この学説からはできないとの批判がなされました。
そして、生理学者のキャノン(Walter Cannon)とバード(Philip Bard)は、脳の中枢で生じた感情が脳の大脳皮質に伝達されて感情を経験し、同時に身体的反応が生じると主張して、いわゆるキャノン=バード説というものを提唱しました。
さらに、大学の心理学の教授であったシェクター(Stanley Shachter)は、ジェームズ説を発展させる形で、大学での学生とのさまざまな心理実験により、生理的な反応とともに、そのことを認知することが、感情を生成する重要な要因であるとした、情動二要因論を展開していきます。
しかし、いずれの心理学の学説も、まだまだ確定説とはなりえず、またその後の生理学や精神医学の発達にも関わらず、まだ未解明な部分が多いというのも、人の感情と行動というものが、一筋縄では分からない、かなり複雑なものだからでしょう。
もう泣かないでといわれたら、よけいに悲しくなって、そして、悲しくなって泣いている自分の姿に、さらに、悲しくなったことを経験した人も多いでしょう。
しかし、また、そんなに悲しいときなのに、なぜかおなかが空いてしまって、涙と鼻水を垂れながら、ラーメンを食べた経験した人も多いでしょう…か。(笑)
そういえば、折れるほど抱きしめて、っていわれても、よほど骨量が不足して、骨粗鬆症が進行していない限りは折れた人はいないでしょう…か。(笑)
まあ、別れるのに、かなり骨を折ったよ、という方も、たまに見受けられますが、まあ、それが羨ましいことなのかどうなのかは、分かりません。(笑)
でも、ただはっきりと、言い切ることができるのは、どんなに死ぬような思いで、悲しんだところで、あの日あの時には、けっして戻れないということです。
つまりは、昨日に戻る、明日はないということです。
町には家路を 急ぐひとが
足早やに目をふせて やすらぎ求めて
もういかなくちゃ つらくなるから
最後の言葉だ ありがとう
過去はけっして変えられません。
あの夏の日がなかったら
楽しい日々が続いたのに
「秋止符」 アリス
夢 散りじり 夏はすぎ去り
それぞれの秋
「それぞれの秋」―アリス
タイムマシンがあれば、あの日に戻ってやりなおしたい…なんて、思うものですが、でも過去の想い出は、やはり想い出として、心の中の小箱に、そっとしまっておくよりほかはありません。
しかし、過去はけっして変えられませんが、来るべき未来を迎えるための土台となる経験としてそれを活かすことができれば、過去の持つ意味が変わることだってあるはずです。
受験に失敗して志望校に入学できなかったという思い出したくもない過去があったとしても、それを次の受験のための糧として活かせば、臥薪嘗胆、粉骨砕身、切磋琢磨、捲土重来、一陽来復となるのです。
この四字熟語の意味が分からない人は、国語が苦手だった過去にとらわれずに、頑張ってください。(笑)
恋人に振られた思い出したくもない過去があったとしても、それを次の人にめぐりあうための糧として活かせば、眉目秀麗、容姿端整、才色兼備、頭脳明晰、温厚博識、品行方正となる…なんて、まあ、もって生まれた天性、先天的なものがありますから、なかなか、それは無理なんでしょうけどね。(笑)
でも、八方美人、優柔不断、付和雷同、有名無実、悪口雑言、傲岸不遜、傍若無人、唯我独尊のような過去の性格は少し矯正した方がいい…って、あんたにいわれとうないって?(笑)
ともかく、過去は変えがたいものですが、これからの未来は、まだ自分の手の届くところにあるということは、事実なのです。
もちろん、ただ待っていては、それもすぐに足早に去ってしまって、単なる過去になってしまいます。
そして、過去になる直前の現在(いま)は、たしかに、居心地のいい場所なのかもしれません。
その場所には、自分に体温にあったぬくもりと、なじみ、なごむような匂いが残っているのですから。
でも、もう気がついているはずです。
そこが永遠の安住の場所ではないことに。
愛のよろこび 夢にえがいて
傷ついて涙もかれて
気がついたとき 笑うことさえ
忘れてた自分に気づいた
いまの場所に、恋々としているうちに、明日の自分を見失っていくことがあります。
私たちの身体を構成する細胞は、約60兆あるといわれ、これらの細胞は、古いものから次々に生まれ変わっているといわれています。
いわゆる新陳代謝と呼ばれるもので、およそ、一日に7000億個が生まれ変わっているといいます。
肌などの皮膚は、一か月足らずの28日で生まれ変わっているといわれ、身体全体でも、三か月で生まれ変わっているといいます。
ならば、三か月前のあなたと、いまのあなたは、細胞レベルでは、まったく違う人間であり、もう生まれ変わってるともいえます。
だからHAPPY BIRTHDAY
HAPPY BIRTHDAY
昨日迄の君は死にました
おめでとう おめでとう
明日からの君の方が
僕は好きです おめでとう
「HAPPY BIRTHDAY」 さだまさし
そうなんです、わざわざ死ぬことを選ばなくても、すでに生まれ変わっているのです。
だから、このことに気がつけば、睡眠薬もかみそりもロープも練炭も節約できますね。(笑)
いや〜、なんかマスター(館長)は、こんなことをしら〜といいのけて、優しいだか、怖いんだか、我ながら、すっかり分からなくなりました。(笑)
町には夕暮れが しのびおりる
肩寄せ歩いても 心はさびしい
もういかなくちゃ つらくなるから
最後の言葉だ ありがとう
ともあれ、新しい酒は、新しい革袋に盛れ、です。
生まれ変わったとしたら、当然、新しい環境にも、順応できるはずです。
いや、新しい環境にこそ、活かす道があります。
はじめのうちは、新しい革袋に馴染めずに戸惑い、古い革袋が、懐かしくて、さびしくなって、切なくなるかもしれません。
でも、感傷のなかに埋没して、埋もれ木のように朽ち果てるのを待つよりも、いまはほんの小さな若葉のようなのぞみでも、大切に育てれば、いずれは大きく育っていくものです。
いままでの過去の経験を、豊かな土に変え、さらに大きく、今まで以上の花も実も成らせることができます。
出逢いと別れの 中でひとは
さだめにたちむかう 勇気をみつける
もういかなくちゃ つらくなるから
最後の言葉だ ありがとう
出逢いがあれば別れがあるのは必定です。
それがさだめというものならば、いつまでも、さだめに打ちひしがれているのではなく、勇気をもって、一歩を踏み出すことが大切なのです。
そう、もういかなくちゃ、つらくなるから。
そう、もういかなくちゃ、昨日から現在(いま)へ…。
そして、現在(いま)から、明日へ…。
最後の言葉だ ありがとう
そして、いつも、いつのときでも、最後の言葉には、ありがとう、そういえる、そんな生き方をしていきたいものですね…。
ありがとう!!
アリスというグループは不思議なグループで、だから、不思議の国のアリス…なんて、オヤジギャグめいたことを、当時からいってました。(笑)
最初の頃のアリスは、どちらかと言えば、チンペイさん、こと谷村新司さんばかりが目立って、堀内孝雄さん、ことべーやんは、声にしろ歌い方にしろ、おしゃべりのしかたにしろ、まるで谷村さんのコピー人形的な雰囲気があったように思います。
ところが、不思議なことに、次第に、べーやんは個性を発揮しだして、この曲の頃には、すっかりとデュオ的な雰囲気になっています。
えっ、おっと、アリスって三人じゃなかったって?
そうです、そうです、忘れちゃいませんよ、キンちゃん、こと矢沢透さん。
ご存知のとおり、歌わない方がいいです。(笑)
しかし、この曲でもそうなんですが、チンペイ、べーやんの二人のあくの強いボーカルに対して、目立たないようで、しっかりと、パーカーションドラムで、いつも存在感をアピールしていました。
だから、三人そろってこそのアリスなのです。
そして、この曲から二年余りの1981年の秋、アリスは活動に、秋止符でなく、終止符を打ちます。
しかし、個性的な三人の絶妙のトライアングルは、復活コンサートでも健在ぶりを見せてくれました。
解散後は、両雄、相並び立たずのようなグループが多い中で、さすがアリスと、嬉しい限りですね。
(初稿2005.2 未改訂) |