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「アザミ嬢のララバイ」―中島みゆき

薊の花も一盛り(あざみのはなもひとさかり)

葉にトゲがあり、日ごろはあまり好まれることのないあざみも時期がくれば花をさかせ、それ相応に美しさをみせるように、顔立ちののそれほどすぐれた人でなくても年ごろになれば、それ相応に美しく、魅力が出るものだということ。→鬼も十八番茶も出花

デビューアルバム私の声が聞こえますか

デビューシングル

第10回ポピュラーソングコンテスト本選会で『時代』がグランプリ受賞
第6回「世界歌謡祭」で『時代』がグランプリ受賞

【本 名】 中島美雪(なかじま・みゆき)
【出 生】 1952年2月23日、北海道札幌市生まれ
【学 歴】 岩内西小学校→帯広小学校→帯広市立第三中学校→山形第六中学校→帯広市立第三中学校→帯広柏葉高校→藤女子大学文学部国文学科
【職 業】 作詞家/作曲家/歌手/作家/女優...
【家 族】 父:眞一郎('76没)/母:典子/弟:一朗
【食 物】 ○ めん類、焼き鳥/× ホヤ
【尊 敬】 谷川俊太郎/所ジョージ/木の実ナナ/大滝秀治
【趣 味】 寝ること



◆1952年2月23日、北海道札幌市に生まれる。父親は産婦人科医。1957年、5歳のときに、父親の転勤にともなって岩内に転居。1963年、祖父の住む帯広で父親が産婦人科医院を開業。家族とともに移り住む。高校は道内有数の進学校・帯広柏葉高校へ入学。高校3年の文化祭で初めてステージに立ち、『鶇の唄』など自作の曲を披露する。高校卒業後、札幌の藤女子大学文学部に入学。寮生活を始める。

◆大学在籍中から北海道大学のフォークソング研究会に出入りしながら音楽活動を始め、1972年、ニッポン放送の音楽番組「バイタリス・フォークビレッジ」が主催する「第2回・全国フォーク音楽祭全国大会」に参加。自作の『あたし時々おもうの』を唄い優秀賞に選ばれる。この時、プロデビューの誘いもあったが課題詩であった谷川俊太郎の「私が歌う理由」に衝撃を受けデビューを辞退した。

◆1974年、藤女子大学を卒業後、1年間のアマチュア活動を経て、1975年にヤマハが主催する「第9回ポピュラーソングコンテスト」に『傷ついた翼』で入賞。同年9月、キャニオンレコードから『アザミ嬢のララバイ』でデビュー。「第10回ポピュラーソングコンテスト」「第9回世界歌謡祭」で『時代』がグランプリを獲得し一躍その名が知られるようになる。

◆1977年、通算5枚目のシングル『わかれうた』が大ヒット、以降、『悪女』(1981年)『空と君のあいだに』(1994年)がヒットチャートの第1位を獲得。松任谷由実とともにニューミュージックの女王などと呼ばれるようになる。

◆ソングライターとしても数多くのアーティストに楽曲を提供、研ナオコの『あばよ』『かもめはかもめ』、加藤登紀子『この空を飛べたら』、桜田淳子『しあわせ芝居』、柏原芳恵『春なのに』、工藤静香『黄砂に吹かれて』『慟哭』など、数多くのヒット曲を生み出している。

◆1979年、ニッポン放送の深夜ラジオ番組「オールナイトニッポン」のパーソナリティを担当。その作品世界とはあまりにかけはなれたトークが若者を中心に人気を集め、数々の伝説を生み出した。

◆1989年から言葉の可能性を探る実験的ステージ「夜会」をスタート。コンサートを越えた演劇的アプローチが高く評価され、今や年末の恒例行事となっている。





(初稿2004.3 未改訂)


アザミ嬢のララバイ

作詞/作曲 中島みゆき

ララバイ ひとりで 眠れない夜は
ララバイ あたしを たずねておいで
ララバイ ひとりで 泣いてちゃみじめよ
ララバイ 今夜は どこからかけてるの

春は菜の花 秋には桔梗
そして あたしは いつも夜咲くアザミ

ララバイ ひとりで 泣いてちゃみじめよ
ララバイ 今夜は どこからかけてるの

ララバイ なんにも 考えちゃいけない
ララバイ 心に 被いをかけて
ララバイ おやすみ 涙をふいて
ララバイ おやすみ 何もかも忘れて

春は菜の花 秋には桔梗
そして あたしは いつも夜咲くアザミ

ララバイ おやすみ 涙をふいて
ララバイ おやすみ 何もかも忘れて

春は菜の花 秋には桔梗
そして あたしは いつも夜咲くアザミ

ララバイ ひとりで 眠れない夜は
ララバイ あたしを たずねておいで
ララバイ ひとりで 泣いてちゃみじめよ
ララバイ 今夜は どこからかけてるの

ララバイ ララバイ ララバイ ラララ

ララバイ ララバイ ララバイ ララララ

ララバイ ララバイ ララバイ ラララ

1975年(昭和50年)
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