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小学校のときから友人であった小田和正と鈴木康博が、横浜の聖光高校時代にフォーク・グループを結成したのがオフコースの始まりである。高校卒業後、鈴木康博は東京工業大学制御工学科に進学したが、小田和正は東北大学建築科に行ってしまい、離ればなれになる(千葉大学医学部に進学することも考えていたが、見学しに行ったときに「カーテンが薄汚れていたので」やめた)。しかし、休日に鈴木が車に機材を積み込んで仙台まで行って練習は続けられた。
1969年、ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに出場し、第2位となる(このときの第1位が赤い鳥)。鈴木はミュージシャンになることを親に反対されていたが、これで決心が固まったという。
(初稿2004.3 未改訂) |