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「縁切寺」―さだまさし

駆け込み寺、縁切り寺として有名。もとは尼寺(あまでら)で山号は松岡山。
1285(弘安8)年に 覚山尼 が創建。覚山志道尼は北条時宗夫人で縁切寺法を作った。これは離婚希望者が東慶寺に入り、3年間修行すれば、女性からの離縁が可能となるというもので明治時代に廃止されるまで約600年間受け継がれた。
 後には離縁のためだけではなく、人生の悩みを持った女性も駆けこんできたといわれる。
 後醍醐天皇の皇女 用堂尼 が5世住職になってから比丘尼御所門席紫衣寺となり、以後松ヶ岡御所と呼ばれるようになった。
 豊臣秀頼の遺児、七歳の娘は助命されて出家し、二十世天秀尼となった。
 寺には今も当時の離縁状がたくさん残っており、本堂裏の松ヶ岡宝蔵に蒔絵の箱などとともに展示されている。
 明治になると寺法は廃止され、1902(明治35)年以降は男の住職が入山して僧寺となった。
 ウメ、スイセン、モクレン、ハナショウブ、コスモスなど花の寺としても知られる。 墓所には西田幾太郎、和辻哲郎、高見順、田村俊子、鈴木大拙、小林秀雄、織田幹雄、大松博文など有名人の墓が多くある。

  愚痴無知のあま酒つくる松が岡  蕪村

(初稿1999.9 最終改訂2001.8)


縁切寺

作詞/作曲 さだまさし

今日鎌倉へ行って来ました
二人で初めて歩いた町へ
今日のあの町は人影少なく
想い出に浸るには十分過ぎて
源氏山から北鎌倉へ
あの日と同じ道程で
たどりついたのは 縁切寺

ちょうどこの寺の山門前で
きみは突然に泣き出して
お願いここだけは 止してあなたとの
糸がもし切れたなら 生きてゆけない
あの日誰かに 頼んで撮った
一枚切りの一緒の写真
納めに来ました 縁切寺

君は今頃 幸せでしょうか
一度だけ町で 見かけたけれど
紫陽花までは まだ間があるから
こっそりと君の名を 呼ばせてください
人の縁とは不思議なもので
そんな君から 別れの言葉
あれから三年 縁切寺

19年(昭和5年)
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