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「チューリップのアップリケ」―岡林信康

1946年、牧師の息子として滋賀県に生まれる。
 68年同志社大学中退し、反体制フォークの旗手となる。


「友よ」「山谷ブルース」「チューリップのアップリケ」などのヒット曲を放つが71年突如、山村にて隠居生活を
始める。
 その後は、演歌、ポップス、フォークロックと様々なジャンルを模索。
 80年代より洋楽の借り物では無い日本人のロックとして<エンヤトット>を提唱、
フォークギター、パーカッションの他、三味線、和太鼓、尺八奏者とともに、ライブを続けている。

 と、こんな感じの経歴で語られることが多い方です。

 「日本のボブディラン」「フォークの神様」なんて呼ばれていた、いわゆるカリスマだった方です。時代で言うと
60年代後半〜70年代前半の学生運動が激しかった頃、というと僕が生まれた頃に、とんでもないカリスマだ
ったんですね〜。

 きっかけは、一冊の本でした。


 僕は仕事柄か人権問題に関する本を割と読んでいます。ある日、いわゆる「言われ無き差別」と言われる問
題をとりあげた本を図書館から借りてきて読んでいたところ、その昔、岡林信康という人がメッセージソングを
歌い、また実際に運動にも参加していた、という事実を知りました。


「チューリツプのアップリケ」「手紙」という岡林信康の代表曲ともなっているその曲を聴いてみたい、という半
ば好奇心からCDショップを2.3軒探してみたのですが、なかなか見つかりません。見つからないとなるとどうし
ても探しだしたくなるもので、やっけになって探してみると、意外にも図書館のCDライブラリーにその曲を収録
したCDが置いてありました。「狂い咲き」という、なんとも…なタイトル。


 ちょっと借りてみた、というのが正直なところでした
男のやせ我慢とでも言うのか…





 実際に曲を聴いてみると、初期の曲は確かに刺激的な言葉が並ぶ曲が多い。本人も最初は時代の雰囲気
に合わせて望まれるがままに社会風刺をしてたんでしょうね、なんせサービス精神が旺盛な人なんで(その
倍ほど裏切っていくわけですが…)


 ほとんどのアルバムが廃盤になっている中、中古ショップをまわってみると、何枚かのCDを買うことができ
た。最近のエンヤトットのものまで含めて。




*部落問題と岡林信康の関わりに関しては、とても複雑なものがあると思います。私自身、それを語れるほどの知識も情報も持
っていないのが現状であります。よって、特に言及することを致しませんでした。




(初稿2004.3 未改訂)


チューリップのアップリケ

作詞 大谷あや子・岡林信康
作曲 岡林信康

うちがなんぼはよ おきても
お父ちゃんはもう くつトントンたたいてはる
あんまりうちのこと かもてくれはらへん
うちのお母ちゃん どこへ行ってしもたのん
うちの服を はよう持って来てんか
まえは学校へ そっと会いに来てくれたのに
もうおじいちゃんが 死んださかいに
だれもお母ちゃん 怒らはらへんで
はよう持って来てんか
スカートがほしいさかいに

チューリップのアップリケ
ついたスカート持って来て
お父ちゃんも時々 こうてくれはるけど
うちやっぱり お母ちゃんにこうてほしい
うちやっぱり お母ちゃんにこうてほしい


うちのお父ちゃん 暗いうちからおそうまで
毎日くつを トントンたたいてはる
あんな一生懸命 働いてはるのに
なんでうちの家 いつも金がないんやろ
みんな貧乏が みんな貧乏が悪いんや
そやでお母ちゃん 家を出ていかはった
おじいちゃんに お金のことで
いつも大きな声で 怒られはったもん
みんな貧乏のせいや
お母ちゃん ちっとも悪うない

チューリップのアップリケ
ついたスカート持って来て
お父ちゃんも時々 こうてくれはるけど
うちやっぱり お母ちゃんにこうてほしい
うちやっぱり お母ちゃんにこうてほしい


19年(昭和5年)
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