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「悲しくてやりきれない」―ザ・フォーク・クルセダーズ

イムジン河は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の歌曲を、フォークルがフォーク調にアレンジし、フォークルの自主制作レコード(アングラレコード)のアルバム「ハレンチ・ザ・フォーク・クルセダーズ」に収録されていました。

これが、深夜のラジオ番組などで放送されて、人気が出て、東芝レコードがシングルで発売を企画、ところが、日本語詞が原作に忠実でない点などについて抗議を受けて、南北朝鮮問題に対する政治的な配慮から、発売中止となりました。
さらには、放送禁止にまでなってしまいました。

そして、イムジン河の代替曲として、イムジン河のテープを逆回転させて、そのイメージをもとにして、二週間あまりで加藤和彦さんが作曲したといわれるのが、この曲です。

言うまでもなく、朝鮮半島は、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終結まで、日本に植民地として併合されており、その後、独立するも、1950年(昭和25年)から1953年(昭和28年)までの三年間、同一民族同士が争う、朝鮮戦争が起こりました。
アメリカ対ソビエト、資本主義対共産主義という冷戦時代でした。
そして、南は韓国(大韓民国)として、北は、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)として、分断されてしまいます。


ぼくの住んでいるところは、在日朝鮮人の多いところです。
近くには、日本書紀にも登場する猪飼野(いかいの)や小橋(おばせ)という地名が残っており、当時、朝鮮半島からの渡来人がここに居住し、橋の工法などを、日本に伝えたとされています。
在日朝鮮人の人々は、その渡来人の祖先を誇りにし、猪飼野を中心に、朝鮮人街(コリアタウン)を形成しました。


中学時代の同級生に、野球部の「まつ」という子がいました。
エースで四番、雰囲気的には、いまの読売巨人軍のゴジラ、松井の高校時代のときのような風貌、ただし、勉強が苦手なために、キャプテンにはなれないというタイプの子でした。

中学2年のとき、その「まつ」という子とクラスが一緒になり、3年になって、たまたま、「まつ」が、骨折かヒビだったかで怪我をしたときに、数週間、体育授業の見学をすることになり、ずっと体調が悪く見学が続いていたぼくと親しくなったのです。

あるとき、その「まつ」が、ぼくのところに来て、ちょっと勉強を教えてくれへんか、と言ってきました。
わけをたずねると、高校野球で有名な○○高校の推薦入学の面接を受けたいが、いまの成績では推薦できない、と先生に言われたとのことで、とくに、数学がひどいということでした。

ぼく自身も、決して数学は得意教科でもなく、また野球部にも、キャプテンをはじめとして、成績優秀な人がいるから、そっちに頼んだらどうか、と最初は断りました。
しかし、「まつ」も、最初は、チームメイトに頼んで、教えて貰ったものの、いまひとつ、教え方が下手なのか、よく分からないとのこと。
ふだんの野球の練習では、いろいろと教えている立場なので、その逆になると、自分も相手も辛いという本音も…。

なんでぼくに、という問いかけに「まつ」は、体育の見学しているときに話した前々年の夏の高校野球、太田幸司が活躍した松山商業対三沢高校の「延長18回」引き分け再試合の話しなど、野球をぜんぜんしたことがないのに、野球のことをよく知っていて、よく分かって、面白くて、親しみがもてたということだった。
数学とは、ぜんぜん関係あらへんやないか、と思う反面、野球部員から野球のことをよく知っていると、お世辞にしても、いわれては…、断りきれませんでした。(笑)

部活が終る五時に、帰り道の公園でベンチに座っての勉強。

−1×(-1)=1   -1-(-1)=0
「まつ」は、ここでつまづいていました。

-1に-1をかけると、なんで、+の1になるのか、
-1から、-1を引くと、なんで、0になるのか。

図を示したりして、いろいろと説明しても、「まつ」は納得しません。

次の日、また、部活が終ってからの勉強会。
ぼくは一晩中、考えたことを「まつ」に話しました。

「まつ」が考えるのは、ヘボピッチャー(マイナス)に、貧打線(マイナス)をかけても、良いチーム(プラス)にならないし、負けているチーム(マイナス)が、さらに点を取られ(マイナス)たら、ゼロになるというのも、納得できへんいうことやろ、それは分かる。(笑)

でも、ほたら、なあ、なんで三つのストライクでバッターアウトなんや、四つのボールで、なんで、ファーボールなんや。

野球のルールを例にとって、ぼくは「まつ」に話しました。
振り逃げ、インフィールドフライ、スリーバント…。
それがルールとして定められているから、アウトとかセーフになる。

数学にもルールがある、野球と同じように、数学のルールや。
マイナスにマイナスをかけたら、プラスとする。
マイナスの前に、マイナスがあったら、プラスとする。
そういうルールや。

おれの球は速いから、ワンストライクでバッターアウトで、ええ。
おれはノーコントロールやから、五つまでボール大目に見てや。
なんて、かってにルール作られへんやろ。
オレがルールブックや、言うてもとおらへんで。(笑)

野球には、セオリーももちろん覚えなあかんけど、理屈抜きで、身体で覚えなあかんのもあるんちゃうやろか。
ともかく、ここは、マイナス・マイナスは、プラスと覚えるこっちゃ。

「まつ」は、分かったような、分からないような顔して頷きました。

次の数学のテストが終わり、「まつ」は答案用紙を見せにやってきました。お世辞にも、いい成績とは言いがたい成績でしたが、前のテストのときの得点の倍になっていて、先生から誉められたと報告しにきてくれたのです。

ともかく、ぼくが「まつ」に教えた数学の「丸覚え打法」は、効果をもたらすように見えました(笑)…

…が…。
中学最後の文化祭に、フォークソング同好会として出演するため、校舎の屋上で、ギターの練習をしていたところに、「まつ」がやってきました。

推薦入学で希望していた○○高校が、やっぱり、ダメになった、と、首をうなだれて報告しにきたのです。

あの高校、今年から、朝鮮人の推薦入学は、受け入れへん方針になったんやて。
おれとこな…朝鮮人なんや。
それも、おじいやんは、北の出身やねん。
南やったら、まだ、良かったかもしれへんけど。

そういって、「まつ」は空を仰いだ。

その、「まつ」に、ぼくらが練習していた、「悲しくてやりきれない」は、どう響いたのでしょうか。

(初稿2002.6 未改訂)


悲しくてやりきれない

作詞 サトウハチロー
作曲 加藤和彦

胸にしみる 空のかがやき
今日も遠くながめ 涙をながす
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このやるせない モヤモヤを
だれかに告げようか

白い雲は 流れ流れて
今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
この限りない むなしさの
救いはないだろうか

深い森の みどりにだかれ
今日も風の唄に しみじみ嘆く
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このもえたぎる 苦しさは
明日も続くのか

1968年(昭和43年)
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